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先ほど、外泊で家に戻ってまいりました。
四月に定例的なCT、エコー及び血液検査を受けたところ、エコーとCTには異常が見られなかったのですが、癌の発生を知らせる血液検査での癌のマーカーが過去に例を見ないほど高くなっていました。昨年10月に癌を殺す治療が功を奏し、マーカーは平常値に戻ってたのですが僅か半年ほどでまたまた発生かと思われ、このたび、入院してMRI及び血管造影(アンギオ)の画像的検査を受けました。危惧したとおり、新たに4,5個の肝臓癌が見つかりました。10月には治療の結果、癌は消滅したはずですが、当然そのとき癌の萌芽が各所にあったと想像されます。しかし、小さすぎて解らなかったわけです。これは医師の誤診とかではなく、技術上の限界でしょう。ただ、癌の増殖は代数的増加でなく、幾何級数的に大きくなります。それに備えて、半年に一回の精密検査を行っていたのですが、これからは3ヵ月に1回のペースでアンギオをしなければならないようです。
血管造影==アンギオはそけい部の動脈から、造影剤を流し、写真をとり、リアルタイムに肝臓の様子が見られるので動脈の中にチューブを入れ、癌の部分に直接動脈結さくとかが出来るので検査法であるとともに治療法でもあります。これを今後3ヵ月に一回のペースで行うとのことです。今回は4,5個の新たな癌が見つかったのですが、アンギオで3個は退治したそうです。残る1,2個はペイト(アルコール注入法で根治するとのことで来週末から地獄のペイトが始まります。今後はモグラ叩きみたいに出来ては潰し出来ては潰す癌との熾烈な戦いが一層激しくなると思いますが、立派に戦って行きます。客観的に見て、必ず敵方の勝利ですが、その戦いの中で堂々と戦死してやる。そういう思いです。
アンギオには3点セット(僕が勝手になずけたもの)があって、アンギオのたびに陰部剃毛、浣腸、尿道にカテーテルの挿入です。3ヵ月に一度の検査では生え揃うまでに次の検査が来てしまう。いっそ、除草剤を散布していただこうかと考えています。
これに関して娘23歳の意見「年に4回ぐらいなんやの。たいしたことあれへん。女は年に12回、時には13回もあるんやから」
4月から病気のことで欝的になっていたので、なかなか書けませんでした。お詫びいたします。皆様からの暖かい激励のお言葉残り少ない終生ですが忘れず癌と戦っていきます。
なぞれん
なぞれん
私ごとですが、
顔が変わるのではないかと思うほど激しい、
原因不明の頭痛に十日間ほど苦しみ、
やっと治まったと思ったら、
バーンアウトシンドローム(燃えつき症候群)
のような虚脱状態に陥って・・
8月のディナーショーや今週末からの「朧月4Daysライブ」のことも
全然取り組めず、ぼわ〜んと後ろ向きになっていた私に、
貴方様の文章は、バーンと一撃。目が覚めた気分です。
明日から頑張りま〜す! というようなことはやはり言えませんが
貴方様の戦いに比べれば、今私のしなければならないことは
あと、ほんの少しの元気を出せばいいことだとわかりました。
書き込み、ありがとうございました。
雲の流れが速い。青空に雲がすばやい動きで形を変え千切れ時には重なり飛んでいく。嵐が近づいている。病院の屋上庭園で天を仰ぎ空を見ている。流れる雲に
身を重ねその行く末に身を占う。パソコンに放り込んだCDで「黄昏のワルツ」を重ねて聞く。ピアノの強いソロが明るかった過去を歓喜し、弦が黄昏の人生を葬送してくれる。戦後の日本の支えた戦士は今舞台を降りんとする。この美しい旋律を聞けたのでもう永劫の休息に入ってもいいかなと思う。いずれは行く国にこのメロディー響いているのだろうか。もし、聞けないならたっぷりここで聞いていこう。
今、4泊の休暇で家に戻っている。今夕、休暇は終わり、僕の最後の戦場=病院に帰る。40数年前のソビエト映画「誓いの休暇」を思い出す。それとレマルクの「愛するときと死する時」を重ねる。
謎
昨日退院しました。生きて出れました。
夜逝って 鶏(とり)かまびしく 朝を告ぐ
街中に飼う 人ぞ悪し なぞ
同室のM氏が逝去した。 合掌
謎
先日、病状が悪化し意思不明に陥り救急車で入院いたしました。25日間の入院生活の末、今日、退院しました。病状も末期的な状態のようです。というわけで、インターネットも約1ヶ月ぶりです。肝性脳症或いは高アンモニア性脳症のため頭脳の働きも低下しております。読むだけかもしれませんが(今までも読むだけのメンバーでしたが)よろしくお願いいたします。
なぞれん
5日朝に「新年のご挨拶」とて、ご連絡をいただきました。
暮れの21日に一度退院したものの、再度入院されて新年を迎えられたそうです。
「ほとんどネットが見られないが、皆様によろしく」とのことでしたので、
なぞさんになり代わりまして、カキコさせていただきます。
「お大事に!」と書いても 見てはもらえへんのかなあ・・・・。
いや 気持ちは届くやろう!!「お大事にィ〜〜〜〜!!!」
明日から 学校もスタートです。我が家も 娘たちここ2,3日 生活サイクルを戻すのに大変です。
はなだんなさんのお子たちも体調いかがですか。
どうぞ みんな、怪我や病気などなく のびやかに過ごせますよう。
なぞれんさん、どうぞお大事になさってください。。
25:再婚で しあわせな人生(みち) 歩み出す 律
26: 緩行線からポイント換えて 華
27:忘れ物 気付いた時は 遅すぎた 悶
28: めげずに走る マラソン大会 梵
29:ゴールイン 笑って迎えよ 終焉を 律
30: 今旅立たん 父母(ちちはは)の下(もと) 謎
10年前に亡くなった母、58年前に亡くなった父、特に父とは初対面ですので会えるのを楽しみにしてます。
大つごもりの前の日、突然発作に襲われ緊急入院、それ以来1ヶ月の闘病生活でした。先日、外泊の許可を得、今今年初めての自宅生活です。でも、今日帰院しますので、またしばらくここを覗けませんがよろしく。
なぞれん
なぞれんさん、お帰りなさいませ!寒さの厳しい折ですが 旧正月ということで
どうぞ、ごゆっくり療養なさってくださいませね^−^!
みなさん、なぞさんの句に続けてください。
8:栄枯盛衰 世のならいといえ 謎
今、病院の庭園からアップしています。 いわゆるドットコムに入会しようかと思って、今はお試し期間です。PHSを使っているので遅いですが、ホームページを見たりメールのやり取りはまったく問題ないようです。月3000円はきついですが、これからもしょっちゅう入院する身体には不可欠かもしれません。色々ご心配かけましたが水曜日退院の運びとなりました。
これからも、生きるだけ生きてやろうと思っています。
なぞれん
至言ですな。。。
なぞさんのカキコを拝見する度に
自分の生活を真摯な心持で見直さなければと思います。
実家の母はパーキンソンを患っているのですが
この病気は 言うに言われぬシンドイ病気らしく
投薬の量も並みの量ではありませんから 様々な副作用で辛そうです
運動能力の低下する病気ですので リハビリも辛そうです
時には
「私達は母にこんなに辛い闘病を強いているが 母自身にとって真に幸せなのであろうか?」
とのおもいに胸が締め付けられる瞬間があります。
でも 体調の良い時に母がもらす笑顔
「死ぬまで生きるさ やるだけやるさ アタシは幸せや」
一生死なないでほしいデス
01:梅の香に 春の足音 耳すまし 律
02: ゆうべの豆をついばむ鴬 華
03:ホーホゲギョ ガラガラ声の のりおちゃん 潜
04: 寒気紅さす ジャリンコの頬 紀
05:封切りの たそがれ清兵衛 観に出かけ 梵
06: 髷落とす時 よぎる彼の顔 悶
07:千代の富士 若貴兄弟 土俵に無く 律
08: 栄枯盛衰 世のならいといえ 謎
09:この角に何を売る店あったやら 華
謎さん、いよいよご退院、おめでとうございます。院内でも院外でも、
PHSで元気な書き込みをしていただけますよう、お願いします。
>生きるだけ生きてやろうと思っています。
>「死ぬまで生きるさ やるだけやるさ アタシは幸せや」
>一生死なないでほしいデス
ほんまほんま そのとおりやわぁ・・・・・。
14: 行きたくないよ 偕老同穴 謎
イマイチ自分でもよく解らないのですが伸びる息子に曲がる我が背。
なぞれん
7:空蝉の 夏を待つにも 春遠く 謎 投稿日:2003年03月03日 (月) 22時15分 |
◆ 2003年03月08日、謎の煉金術師(なぞれん)さんはご逝去されました。 ◆
◆ 享年(数え年)60歳でした。上の句は、はなだんなが知る限り、ネット上 ◆
◆ の連句への最後の投句です。謹んでご冥福をお祈りいたします。 ◆
3月初めにまた入院され、8日に永眠されたそうです。
詳細はまた。
>3月初めにまた入院され、8日に永眠されたそうです。
一度もお見舞いに行くこともなく お目にかかることもないままでしたが
この掲示板に書かれた数々の言葉の重さを 今更ながらに思い出します。
「ご冥福をお祈りいたします。」って書いた言葉が 虚しい。
「早や過ぎる・・・・。」「なんでやっ!」
なぞれんさんの無念と残されたご家族を思うと 涙が止まりません。
なぞれんさん。
謹んでご冥福お祈り申し上げます。
絶句
なぞさんの 残された句が 今は愛し 律
・・・・はな板に来たら 涙がこぼれます・・・。
子供の頃 富士山に登りました
十歳の夏に 叔父夫婦に連れられて五合目から登りました
八合目でお泊りして 早朝から再度登り ご来光を拝んで
チキンラーメン@あはは の朝飯をとり下山
す走り口という下山道を ヒザをがくがく鳴らしながら下っている時に
雲が !!!
小学校の校庭ほどの大きさの 雲が!
山の斜面を滑るように迫って 自分の足元へと駆け上がってくる体験をしました
≪うわぁ〜ぁ〜!雲やん?アタシってば 雲の中に入るんやん!≫
嬉しい気持ちと恐い気持ちと入り混じった興奮
雲界の中は乳白色の濃霧でした
洗いざらした麻のような無骨で大粒の水滴が おさないアタシの頬を包み
濃密な水分を含んだ大気は 信じられないスピードでアタシの背後へと逃げ
多感な思春期の扉に手を掛けたばかりの美少女←アタシよ(^^)v
の心に≪喪失≫或いは≪寂寥≫デあるらしき感情の刻印をおしつけたかと思うと
なんだか なにかにけがされるのをおそれるもののようにあしばやに
校庭雲は
山頂に至る前に 藍色の大気に溶けて無くなってしまいました
んで
Kiiちゃんは未だに雲に乗り損ね。。。。。未だに浮世をうろうろしています
なぞさんの逝去にふれ
なんでかしらん 思い出したので おもいのままに記します。
( 完 )