みくら
「あらゆるものがタラから始まるの。タラこそ〈上王〉の御座だし、
アイルランドの部族の集まる地よ。王も女王もドルイドもタラに集
まるの」 ――O.R.メリング作『妖精王の月』
物語の舞台の土地を実際に訪ねるのは楽しい。でもファンタジー作品の場合、
舞台は架空の世界ということがよくある。また、民話や神話のふるさとが、現
在は変わり果ててしまったというケースも多い。けれど、私は幸運な体験をし
た。昔ながらの景色とファンタジックな雰囲気を持つ地を訪ねた後で、まさに
その場所を舞台にしたファンタジー小説に出会ったのだ。
タラ。M・ミッチェル『風と共に去りぬ』で、アイルランド系移民の娘であ
るスカーレット・オハラが「タラに帰ろう」と言う時、それは、不思議な力に
満ちた魂の故郷の名となる。タラとはもともと、アイルランドの古代の聖地、
伝説の都の眠る丘なのだ。
アイルランドの神話や民話に魅せられた私は、94年秋、かの地を実際に訪れ
た。首都ダブリンから少しドライブすれば、そこはもう緑なす丘陵地帯、その
中に遺跡が点々と散らばっている。旅行記から――
…誰もいない丘裾の坂道を、上の方に見える教会と木立ちを目ざ
し登ってゆくと、強い風に乗ってばらばら雨が落ちてくる。
教会の低い石垣の向こうに広がる緑の丘が、テアムハイル(タラ)
の中心的な遺跡群だった…。ここには建物は何も残っていない。盛
り上がった丘の一つに古墳が口を開け、また、リア・ファール(運
命の石)と伝えられる先の丸い立石がぬっと立つだけだ。
…溝や堀のようなでこぼこがきつくて歩きにくく、いかにも古い
遺跡を踏みしめている感じがする。…すぐ横の草地で数頭の羊がお
となしく歩き回っている。
「でも、ここからの眺めはすごいねえ。周りじゅうが見渡せるね
え」。デ・ダナーン神族の諸侯たちが宴を張るこの丘へ、あの地平
の辺りから一人の少年が近づいてくる。その髪はきらめく金色、ま
るで太陽そのもののよう。少年はテアムハイルのふもとに来ると、
次々と自分の技芸を申し立てて入城してくる。諸芸の達人の太陽神、
長腕のルーグの登場だ。そんな神話を思い起こしながら、うねる丘
陵と雲との360度パノラマを楽しむ…。
…すると風は灰緑の地平線の彼方から吹ききたって雨をさらい、
太陽がキラリとタラを照らした。英雄ルーグの金髪のきらめき。デ
・ダナーンの、そして歴代のハイ・キング(王の中の王)たちの、
つわものどもがゆめのあと、今は昔日の宴の楽の音も消え果てて、
伸びた草を羊たちが食んでいる。
さて、冒頭にあげた本は、日本では95年に出版された。16歳の少女二人が、
ファンタジーに憧れてアイルランドを旅するうち、一人が妖精王にさらわれる。
その場所が、タラ。現実の現代と別世界フェアリーランドが自然に出会い、重
なり合う、その雰囲気は、私が実際に体感したのと同じだった。
…グウェンはそこ(丘)に横になって、雲を見つめた。雲は羊み
たいに群れをなして、風に流されていく。グウェンはその永遠の流
れにすっかり心をとらえられ、うっとりと幸福な物思いにひたった。
…フィンダファーは門に顔を押しつけ、中をのぞきこんだ。…
(丘の)内部は洞窟のようだった。墳墓のようだ。彼女は身ぶるい
した。…ふしぎなあこがれが襲ってきた。中に入りたくなった。
――『妖精王の月』
憧れと現実が共存するタラの丘。地球の反対側の島国にある、とっておきの
場所である。
(引用は井辻朱美訳、講談社より)
(「児童文芸」1996年11月号掲載)
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