ブランク・サマー


 時はまるで銀紙の海の上で溶け出し
 ぼくは自分が誰かも
 忘れてしまうよ
 ・・・
 カナリアン・アイランド
 風も動かない         ――大瀧詠一「カナリア諸島にて」


「…誰だろう。ぼくは誰かを待っていたはずなのに、思い出せない。」
            ――長野まゆみ『テレヴィジョン・シティ』


 不在の夏・・・「この海は、嘘だ」・・・「ハリガミだね」
 繰り返しの夏・・・何か……思い出せない記憶。
                ――飛浩隆『グラン・ヴァカンス』



 

§ ブランク・ペイパー


      ペイパー・プレインにのって
宿題色の夏休みを止めて
ホ・ホ・ホ、ワッホ
でかけよ
ごろ寝できたえた夢想たちが
にょきにょきのびる今日は

つけっぱなしの扇風機の風うけて
シュ・シュ・シュワッと
とびたと
つまんなくって さみしくって 仕事いっぱいで
発酵しそうな日には

 ほら! 水平線の真下で
 詩がうまれる予感がする

 フレイ! 入道雲のてっぺんに
 去年の忘れ物が落ちている気がする

やなことみんなロッカーにしまって
ホ・ホ・ホ、ワッホ
でかけよ
by Hanna
 

§ レテ・ブラン


          無人の初夏
だれかを待っていたのだったか
それとも
ただ青にすいこまれたかったのか
思いだせない日がある

 あのまるい海のはてから
 やってくるのだっけ
 だれが…
 いつ…

どこへ帰ってきたのだったか
それとも
ただ人恋しかったのか
思いだせない旅のおわり

 あのまるい空のはてから
 たどりついたのだっけ
 だれのもとへ…
 なぜ…

いつも見る青だ
いつか見た青だ
ひどく ひどく もどかしい
記憶の中の海と空
by Hanna
 


        無人の初夏2
いまのいままでだれかを待っていたのに
かもめがまぶたをぬって飛び過ぎていくと
       ブランク
ぼくのこころは空白になる

ここは ――― ドコ
待っていたのは ――― ダレ

波がひくように遠ざかり
消えていく たくさんの想い
ブランク
空白の季節はいつまでつづく
とつぜん空がブリザードの灰色にとざされる予感がする

ここは ――― ウミ。
待っていたの ――― ダレカを。
by Hanna
 


          夏の日に
夜中に降った雨を
朝の陽がすっきり露払いして
空はまっさおに新たまった
坂の下を旅してゆく貨物列車の足音が
汽笛と一緒に遠ざかってゆく夏の日

なにかとても大切だったものを
次々とあまりに早く
なくしていくから

木蔭で騒ぐ若鳥たち
からすは明るさに沈黙している
緑はさすようにまぶしくなった
窓の下で水を噴いているホースが
蒸気と涼風を呼び入れる夏の日

ひとは あんなに大切だったものを
次々とあまりに早く
なくしていくから

 巨大な車輪のめぐりのなかで
 ひとりバベルの塔を建てているものだから

銀に灰色に静かな町
坂道をパタパタ駆け下りてゆく子ら
空気はどきどきするほど熱くなった
それなのに・それだから・そのなかで
切ない忘却に洗われる 喪失の 夏
by Hanna
 


         脱 出 行
うつろな海にボートをうかべて
きみは船長 旅に出るよ
このかなしみが ほとばしるように
潮道をつくり ぼくらをはこぶ

 すべてのきのうを捨てさってゆけ
 記憶の海がのみこむままに

暗い海原 ボート走らせ
きみは船長 旅してゆくよ
うまれたときから こがれつづけた
あの故郷へ ぼくらはゆくよ

 すべての機構を捨てさってゆけ
 はげしい風にくずれるままに

まだ遠い夜明けへ ボートすすめて
きみは船長 旅は終わらない
大空へはなたれた小鳥のように
ぼくらは孤独で澄みきっている

 すべてのきのうを捨てさってゆけ
 きみは船長 ぼくは船




      *『テレヴィジョン・シティ』の
       アナナスとイーイーにささぐ。
by Hanna
 

               ゆうべ
           真夏の夕
真夏の夕のさびしさは
何もかも埃っぽく倦みはてて
色あせたような焦げ臭さ かもしれない

真夏の夕のやすらぎは
その疲れた景色の中に自分も溶けこみ
すべてと同様に世界の一部を成していること かもしれない

 ツミをつくりながら ひとは生き

 ああ生きることがツミをつくる
 世はそんなツミで充満しているのに
 それなのになんとやすらいだこの夕

真夏の夕のさびしさは
このセピア色の景色のひとつひとつが
みな僕と同じさびしさを宿しているからだ

 ツユのように玉と結ぶさびしさ

 ああ無数のツミと孤独をかかえ
 世はそんな魂で充満しているのに
 それを知りつくして(それゆえに)なんとやすらいだこの夕




   *カミュ『異邦人』読後に
by Hanna
 


          喪失の夏
日暮らしの声 散り敷くなか
雨あがり ぼやけた影のよどむ
夏の夕べ     とき
天の星も見えぬ 時間の苦しい流れは
心臓つらぬき すっと楽になった剣のよう

しずかに しずかに 時 めぐり
いつもどおりの夏があたりを覆いながらも
黙したまま かえらぬものがある
思いだすたび うすれてゆくものがある

ああ この世のめぐりは喪失の輪つなぎ
日暮らしのうたう この鎮魂の夕べに
もう忘れてしまったものたちのことを わたしは想う

緑うもれる 喪失の夏の日よ
          としどし
あざやかにまぶしい 歳々の夏よ
どの夏も どの夏も
過ぎてゆく夢のまにまに
by Hanna
 


        喪失の夏2
窓辺に映える夕陽を眺めながら
蝉たちと明け暮らす静かな日々よ
涼風にゆれる朝顔の蕾のむこうに
はるかな海 広がる

 こうして 日々は
 うつろいゆくことを忘れさせる
 永遠の日輪のごとく
 この夏はいく度でもめぐるものだと

 いつかは旅立たねばならなかった
 それなのに港の風景は
 たちこめる夕霧に眠りこんだままで

時計の軋みが次第に大きくなり
ぼろぼろと崩れ去ってゆく夏に気づかぬまま
わたしは忍び寄る喪失のにおいに
夢の中で寝返りをうつ
by Hanna
 


        くらげの夏
あの夏 聞いた 旅立ちの歌
人けない砂山のふもと
波うちぎわに
くらげが流れ着いていたね

 からっぽになり
 ひしゃげて
 かわいた膜
 海にいるときは月の光で
 まるくやわらかにふくらんでいたのか

それは 何かに 似ていて
わたしのこころをはげしくとらえた
旅の終わり
流れついた夢のうきかす

あの夏が
もう遠い
わたしは今年も
くらげを悼む
by Hanna
 


        いちじくのかおり
夏の終わりのいちじくは
ひとけない楽園のかおりがする

 ぶなや月桂樹 おいしげり
 つるやかずらのからみつく
 秘密の楽園のかおりがする

夏の終わりのいちじくは
麦わら帽子のかおりがした

 垣根に囲まれたなつかしい庭
 井戸のまわりの柿の木や
 まぶしく静まる花壇のかおりがした

窓の外ではつくつくぼうし
しずかにきじばとも問うている
くり返し くり返し
時の流れの手回しオルガンのように

夏の終わりのいちじくは
耳もとを何度も過ぎてゆく歌のかおり

味わおうとして消えてゆく
甘い思い出のかおり

子供のわたしが遊びくらした
とおい夏の日の楽園のかおり
by Hanna
 

§ TIMEBLANC


       Kamenome (亀の眼)
Shinuruほど利己的にはなれないが
Ikuruほど博愛的にもなれぬ時がある
ぬいぐるみの亀の眼の
うるむ日などに。
by Hanna
 


        Hoshi-no-Kyori (星座)
何万光年も離れた星と星と星々がある。
人々は地上から眺め
つないで絵を描いた。

寄り添って見える星と星と星々も
ほんとうは途方もなく離れているのだ。

だから時々
星と星と星々の間をほんとうは満たしている、
途方もない量のまっくらな時空が
ぼくに break in してくる気がするのだ。

だから時々
星とぼくと星座を描いた人々との間を満たしている、
途方もない量のまっくらな時空が
たしかにぼくの中にもある。
by Hanna
 


      MARIONETTE (脊椎は空洞)
ぼくをつらぬく脊椎は空洞で
光ファイバーのように
孤独が走りぬけていく
我慢できぬほどのそのおののきが
妙に心地よい 自虐的な宵
ぼくは
ふいにゆるやかな dance をしたくなる
だれもいない丘の上で。
by Hanna
 


          プールにて
硫酸銅のように青い水面で
わたしはぽっかりと浮かんで居る
まっすぐ見上げると
初夏の ほんとに白い雲が
わたしの真似をして居る

プールサイドはきらめく雪峰
光の結晶が波間ににじむ
まぶしさに目を閉じると
太陽は蜂蜜のようにまぶたの下でとろけて
熱く 甘く 眼球にしみこんでくる その時

あの大喪失の日の以前の
幼い者だけの使える魔法がよみがえり
時間はわたしのまわりにゆっくりと横たわる
そのかすかな歌声を聞きながら
わたしはすべての障壁をこえ
宇宙全体に散らばってゆく
by Hanna
 


       風の隙間、吐息の狭間
雨の予感をふくむ空気が ながれる
鳥たちがにわかに ざわめく
通りではクラクションがやかましく ひびきあい
金属がにぶく影を 落としあう

灰色の空
ふっと風が消えて
今にも泣き出しそうに
雲がぶらさがる

  そのなかで海だけは青く
  かなたに横たわる
おわり 
終末をきざすような溜息が もれる
人々がにわかに さざめく
街ではサイレンがひっきりなしに ひびきあい
多くの予言がくろぐろと わだかまる

灰色の顔、顔、顔
ふっと吐息が切れて
今にも泣き出しそうに
まなざしがくずれゆく

  そのなかで海だけは青く
  かなたに横たわる
  何かを待つように
  けだるく横たわる
by Hanna
 


          赤い電車
ほら 覚えているだろう
おれは赤い電車だ
小さな駅の引込線で
いつもおまえを呼んでいた

 おれにはドアもない
 窓もない
 走りもしない
 むかし何の仕事をしていたのか
 思い出すこともできない

ほら いつもここにいるんだぜ
おれは赤い電車だ
耳をすませば聞こえるだろう
おれの中でモーターの鳴っているのが

 春には花びらが風に舞い
 夏が過ぎ
 秋もゆき
 おれの横を季節は
 特急のように過ぎていった

ほら ふるえているだろう
おれは赤い電車だ
おまえの心の引込線に おもい
忘れられた おそろしい想念だ

いつか おれは走りだすだろう
おまえの夢の中から
忘れるな おまえの心の引込線に棲む
おれは赤い電車だ
by Hanna
 

§ Le Blanc Noir


          海の記憶
バスに乗つて
夕ぐれどきの海へ行かう
学生服の貴方が
友達と来てゐる

 くろい波のうへ
 ただよひ乍ら
 海水浴いたしませう

 叶わなかった夏のゆめ

あれは天の川
いいえ 只のうすら雲
本当の銀河は
真夜中の波うちぎは

 くろい波かぶさる
 夏の記憶
 ふいによみがえる風

 微熱をいなす 海からの風
by Hanna
 


            黒い海と貴方
崖の下では黒い海がうねつてゐる
わたしは薄闇のなか
誰かの落とした銀貨を土の上に見つけて
貴方を呼ぼうとする

 さだかでない景色の内側で
 底のあたりにわだかまる黒い海へ
 貴方は足のほうから飛び込む
 のめるように沈む貴方の白い躰

崖の下でうねる黒い海から貴方が上がるのを
わたしはふちで待ちかまえる
濡れた冷たい貴方の姿は私を刺す けれどその時
貴方がわたしを呼ぶ

 さだかでない気持ちの外側で
 わたしは貴方のほうへいそいでそっと寄る
 貴方は声をひそめ 秘密めいて
        みなそこ
 わたしにだけ水底の黒いつらさを打ち明ける

 ああ墨汁のような海のつらさを
 わたしにだけ見せてくれる貴方の心は私を刺す けれどそれから
 貴方は話を途中でごまかしたように
 後悔の背をわたしに向ける
by Hanna
 


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