便所の神さま

「ダイちゃん、おじいちゃんちへ行くよ」

 やった! ぼくは思わず歌っちゃう。

「♪おじいちゃんち だぁーいすき!」

 おじいちゃんちは遠いけど、広いにわに、いいものが

いっぱいある。カキの木。井戸。畑。夏休みには、とび

きりのトウキビが食べられる。ほかにも、ナスにトマト

にエダマメ。どれも最高においしい。

「♪おじいちゃんちの もぎたてトウキビ! やきたて

 あつあつ だぁーいすき!」

 でもまだ五月なので、トウキビは芽が出たところだろ

うな。そんなことを考えていると、

「ダイちゃん、はやくして!」

ママはなんだか、ピリピリしてる。でも、いつものこと

さ。

 パピューン。ママは車をぶっとばした。ぼくは、だぁ

ーいすき、と歌っていたが、ふと、一つだけすきでない

ものを思いだした。

 なにかというと、それは、便所だ。おじいちゃんちの

便所は、すみのかどっこにある。夜なかにえんがわをぺ

たぺた歩いていくのは、じつは、とってもこわい。おま

けに、水洗トイレじゃないのだ。木のふたのついた、ま

っくらな深いあながあるだけ。一歩ふみはずしたら、く

さい中へ自分もボットンだ。ママは「おトイレ」という

けど、ぼくはぜったいさんせいできない。あれは、おじ

いちゃんのいうように、「便所」だ。

「♪あれさえなければ いいけどなぁー、おじいちゃん

ちの あのべん…」

「ダイちゃん! しずかにしなさい」

 ママが低い声で言った。

「おじいちゃんね、なくなったのよ」



 おじいちゃんちについたけれど、しらないよその家み

たいだった。黒いせびろふくが何人も、出たり入ったり

している。ぼくはもう、歌どころじゃなかった。まっす

ぐ二階へ行かされた。トウキビも、なんにも見ないうち

に。

 ゆうがた、おばあちゃんが、ハンカチを目にあてて二

階に上がってきた。

「ゆうべ、夜なかにお便所に行って、そのあと、またね

たのに…けさになってもおきてこんかった。こんなに早

く死んでしまうとは」

 おじいちゃんはほんとに死んじゃったのか、とぼくは

そのとき、はじめて思った。



 夜、ぼくはもじもじしていた。トイレに行きたくてし

かたない。でも、行きたくない… なぜかって、便所に

行くには、くらいえんがわをとおらなきゃならない。よ

このへやにはまっ白なさいだんが作られて、おじいちゃ

んの写真がたてかけてあった。ろうそくの火がゆらゆら

ゆれている。ただでさえこわいのに、これじゃ、たまら

ない。

 でも、もうがまんできない。ぼくはかたにぞわーっと

さむけをかんじながら、えんがわのはしに立った。一、

二、三、ダダーッ!

 なにがなんだか、とにかくこわい!

 と、

「はしるんじゃありません!」

ママのどなり声。ぼくはホーッとした。

 ガタン、と便所に入ると、あみ戸のまどから外が見え

た。用心しながらふたをとって、ハアー、やれやれ、ひ

と安心。ぼくは、うんとのびをして、外をのぞいた。ぼ

うっとうすあかるい。こげ茶色の畑のうねに、ペロッと

したトウキビの芽が、ぎょうぎよくはえている。

 かすかに、畑のにおい。雨あがりの公園みたいで、ひ

んやり、はなのおくのほうまでしみこむ。おじいちゃん

ちのにおいだ。

「さてさて、いそがしなぁ」

 とつぜん声がしたので、ぼくはとびあがった。もう少

しで便所のあなにおちるところだ。

「だっ、だれだ」
      .......
「わしや。べんじょのかみじゃ」

 見ると、昔話のような、てぬぐいを頭にかぶった小さ
      べんじょがみ
なやつが、便所紙の上にあぐらをかいている。

 つけくわえておくと、便所にはトイレットペーパーが

ない。かわりに四角く切った習字の半紙みたいなのが、

はこに入れてある。それが「便所紙」で、小男はその上

にいた。

 あんまりびっくりして、ぼくはこわいなんて思うひま

がなかった。そいつはくりくりした目で、かおは茶色く、

しわだらけ。ぼくを見ると、にたっとわらって、

「便所紙とちゃうぞ。むかしのおさむらいは、住んでる
           かわちのかみ
場所の名前をとって、河内守、とかいう。わしは便所に
    べんじょのかみ
いるから便所守なんや」

 そうして、こんどは外をのぞきながら、

「ゆうべおじいちゃんに、畑をたのむ、て言われたけど、

こりゃ重労働やな。でも、ダイスケはトウキビ食べるん

をいっつもたのしみにしてるから、て、おじいちゃん言

うてなぁ」

 ぼくはおばあちゃんのことばを思いだした。たしかに、

おじいちゃんはゆうべ便所に行ったのだ。でも、なんで

こんな便所紙──じゃない、便所守なんかにたのんだん

だろう?

 すると便所守はのびあがって、口をはんぶんあけ、ま

どの外をのぞきながら言った。

「ここの畑のもんが、あおあおしておいしいのはなんで

やと思う? あんたのおじいちゃんが、便所からくみと

ったこやしをまいとったからじゃ。なによりええ肥料に

なるんやで」

「便所の? わー、きったねぇー」

 ぼくは言ったあと、口をおさえた。便所に住んでいる

便所守に、しつれいだったかな?

「きったねぇーくても、いちばんの肥料や」

便所守はぼくの口まねをして言った。

「あんたのおしりから出たもんが、やさいやトウキビの

えいようになっとる。それでもって、やさいやトウキビ

が、あんたのえいようになってるんや」

「おえーっ、それじゃ、おしりから出したものをまた食

べてることになる!」

「そや。出して、食べて、出して、食べて、みんなぐる

ぐるまわっとるんや」

 便所守はとくいそうにふんぞりかえった。

 きゅうにそのとき、外からママの声が、

「ダイちゃん、おなかのぐあい、わるいの?」

「ううん、だいじょうぶ」

 ぼくはあわてて木のふたをした。便所を出るとき見る

と、便所守がウインクをしていた。



 おじいちゃんのおそうしきがすんで、何日かたった。

あした帰るという日、ぼくはなにげなくにわをのぞいて、

びっくりした。
 べんじょのかみ
 便所守がいる。便所のうらてで、長いえのついたひしゃ

くをもち、バケツになにかくんで入れている。あれは、

ぼくやおばあちゃん、ママ、しんせきの人たちが、食べ

て、出したものだ。くさいだろうな。きたないだろうな。

 便所守はやがて、バケツをさげて畑のほうへ行ってし

まった。すぐ見えなくなったけれど、またもどってきて、

何度もくんでいる。おじいちゃんのかわりに畑にこやし

をやっているんだ、とぼくは思った。くさいのも、きた

ないのもかまわずに…



 夏がきた。夏休みになるとすぐ、ぼくはおじいちゃん

ちに行った。

「♪おじいちゃんち だぁーいすき! おいしいトウキ

ビ できたかな」

 車の中でぼくが歌うと、ママが言った。

「…おじいちゃんがなくなったからね、あのお家も、な

くなるかもよ」

「えーっ、じゃあ、おばあちゃんは?」

「おばあちゃんは、うちのちかくに小さいお家を買って

住もうかって」

「わー、まいにちおこづかいもらうぞ!」

 ぼくはよろこんだあと、はっと思った。

「ねえ、じゃトウキビは?」

そしてあの便所守は? トウキビにこやしをやっていた、

便所守のすがたが目にうかんだ。

「ことしでさいごになるわねえ、あのおいしいトウキビ

も、やさいも」

 ガーン。ぼくはしばらくだまりこんでしまった。…す

ぐ便所守にしらせなくっちゃ。



 その夏食べたトウキビは、歯にきゅうっとしみこむほ

どおいしかった。これも便所守のおかげだ。便所守は、

ぼくが便所に行くとちゃんといて、いいことをおしえて

くれた。

「いちばんりっぱなトウキビをのこしといて、秋にむら

さき色になったらもってかえり。春になったら、たねを

まくんや」

そして、またとくいそうにつけくわえた。

「たねからトウキビがはえて、トウキビにたねがなる。

ええか、みんな…」

「みんなぐるぐるまわっとるんや」

 ぼくが便所守の口まねをして言うと、便所守は茶色い

かおをくちゃっとゆがめて、まんぞくそうにうなずいた。

 おじいちゃんちがなくなったら、どこかにひっこすの

かときいてみた。でも便所守は、ないしょじゃ、と言う

だけだった。

 だが、なぞはやがてとけた。

 秋、むらさきにじゅくしたトウキビの実を、ぼくは家

にもってかえった。そうして、つぎの年の春、特大のう

えきばちにたねをまいた。

 その夜、ぼくはトイレに入ってびっくりした。便所守

が、なんとトレーニングシャツすがたで、ちょこんとす

わっている! 

「どや、わしのニュールック?」

 ウインクして、にたーっとわらうそのかおは、ちっと

もかわっていない。

「かっこええ水洗トイレにあわせて、わしもイメ・チェ

ンしたんじゃ。よろしゅうな」

「わあ、よろしく、便所守!」

「ダイスケくん。その便所守っちゅうのは、かえたいん

や。ひっこしたし、イメ・チェンもしたし、どや、ここ

でひとつ、トイレマン、というんは?」

 ぼくはぷっとふきだした。

「トイレマン? ぜんぜんにあってないよ!」

 しまった。またしつれいなことを言っちゃった。ぼく

はあわててつけたした。

「トイレマンじゃやすっぽいからさ、せめて、『便所の

神さま』で、どう?」



                     おわり



      (1991年 児童文芸家協会第4回創作
           コンクール幼年童話部門二席)

   *モデルである私の祖父は、昭和天皇と同じ年の生まれ
    で、1975年5月に亡くなりました。戸建ての「おじい
    ちゃんち」の庭は、団地住まいの幼い私の目には広大
    な土地に思えました。しかし別に農業をしていたわけ
    ではなく、たぶん戦中戦後の食糧難の頃からの習慣で、
    自宅で食べるぶんの野菜を育てていたのでしょう。
by Hanna
 

 
 
このページの素材は「ヴィラージュ・
クッキング素材集」様です。
 


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