ナカノシマ25時

           <1>



 夜更けの街ってのはビルのライトが主役だ。あたしが

ターミナルの信号待ちで見上げると、夜空はネオンで青

く照らされている。点滅のたび、空の色が変わるんだ。

分厚いビロードの青から、透明な墨汁色まで。

 風がビーッビーッ、植えこみを揺らしていく。バスタ

ーミナルはだだっ広いアスファルトの海に突き出した緑

の岬。二週間ごとにとっかえひっかえされる花壇から咲

きなだれる花、はびこる低木、垂れこめる藤棚で、さな

がらジャングルだ。

 その上から、世界の壁みたいにでかく、うすっぺらな

ターミナル・ビルが、巨人のようにチビどもを見下して

いる。いっせいに青に変わった横断歩道の四辺形の真ん

中に立って見上げると、あたしの肩にななめにのめりか

かってきそう。

 ターミナル・ビルに限らず、都会は崩壊の不安をはら

んでいる。沈みかかった月そっくりに、かしいでいるの

は極彩色の広告板だ。端からトララララとネオンがとも

っていくたび、ちょっとずつずり落ちていくんじゃない

かな。何の広告だか、文字は読めないけれど。あたしは

眼鏡を忘れてきたから。



 もう人はまばらだ。日曜日という旅が終わって、みん

な疲れ切っている。どんどん前を向いて帰り着いて、な

じみの寝床にもぐりこむだけ。そうして旅のことをしみ

じみ夢に見りゃ、明日からのルーティンをさしあたり忘

れられる。

 横断歩道の対岸に渡り着いてみると、ジャンジャジャ、

ギターが鳴っている。汚れたジーンズに時代遅れのざん

ばら長髪な吟遊詩人が、フラワーポットのへりに腰掛け、

悲しげな歌を歌っていた。

 見物人はだれもいない。だから彼も安心して歌い続け

るんだろう。ランララ、使い古されたコード。通り過ぎ

るとき、ちらっと歌の文句のかけらがとびこんできた。



   光りながら 漕ぎだしていけ



 あたしはジャングルの中を岬の突端へ向かう。高層ビ

ルの複眼に似たぎらつきも、茂った草木に遮られている。

エリオステモン、アブティロン、ヒベルティア・ペドゥ

ンクラータ、呪文のようにからまる名を持つ植物たち。

1番、2番…オレンジ色の電光板の招くバス埠頭はがら

んとして、さえた昼間の月面に負けぬくらい清潔なベン

チが白い。路線案内図はもつれあう色とりどりの綾取り

だ。

 灰色の身なりの日焼けした男が、ベンチの一つに寝そ

べっていた。雑誌を数冊枕にし、一冊を手に持って解読

するように見つめている。

 あんなふうに寝ころんで、見上げたら、バスだまりの

茶色の屋根や伸び放題の枝、街灯、色を変える空、それ

らが一度にあって、まるで無人島気分だろうな。そう思

っていると、男はハタッと雑誌を下げ、よく光る、黒い

まん丸な目であたしを見て言った。

「間に合わないところだったな」
 

           <2>



 灯台のような標識灯に、黄緑の丸い光がペカッペカッ

とパルサーのように点滅している。その横に停泊してい

るバス、あたしを待っていた。

 白い流星のようなバス。中は深緑の藻の色のシート。

運転士がただ一人、黒いコクピットに座って、銀のコショ

ウをふりかける手つきで、あいた窓からタバコをはたい

ている。



 真夜中のまっさらなバスに乗りこんで、あたしはどこ

へ行くのだろう。ターミナルを離れ、つらなって泳ぐ魚

群のような車の列にとけ入って、快調に進む。「つぎと

まります」の緑のランプが、ブレーキのかかるごとにあ

やしく光っては消えるのは、ロックコンサートの照明を

思わせる。

 いま、高速道路に入る。黄色の光あふれる料金所で、

暗い帽子の運転士は関守の老人と秘密の護符を交換し、

無言でブロック・サインを交わす。



 び・ゆーん−−−



 重力もついてこれぬ心地よさで、バスは加速する。ま

るで冬季オリンピック、ボブスレイの暗黒版。ホタルの

列のように並んで横を流れてくオレンジの高い提灯。沈

む暗闇。カーブ、ぐ・いーん−−−

 ハイウェイは血管だ。あたしのバスはそこをきらめき

ながら流れる赤血球。下でのろのろ止まったり動いたり、

数珠つなぎのあれらは、静脈を行くがらくたたち。歯並

びのよいビルは、無言でおとなしく、いささか鈍重な巨

人のようにすてきだ。

 暗い川が近づいてきた。その向こうは血管に取り巻か

れた心臓、堂々たるナカノシマのビルの群体だ。宇宙要

塞、あるいは夜の海を漂うカツオノエボシにもっと似て

いる。



 つぎとまります



 ブリッジは飛行場のよう。び・ゆーんとカツオノエボ

シの脳の中へ呑みこまれていく。

 バスが泊まって、あたしは下りた。両替機にコインを

入れたら、ジャンジャラと七色のガラスくずが出てきた。

あるいは星のカケラ? 運転士は黒い帽子の下からちら

りとあたしを見、白い歯を光らせてほほえんだ。

 そこは無人の地下駐車場。どこかさらに下から、ぐ・

おーん、ごん、ごんという大地のうめき声が聞こえる。

あたしの足音もこだました。遠く明るいガラスドア。開

ければ、樹脂ばりの廊下。ぐ・おーん、ごん、ごん。か

すかに振動する床をぺたぺた踏んでゆくと、つきあたり

に手術室めいた広いドアがある。



 編集局



 ギイ、と開けると、真っ白な室内と、倍速映像のよう

に動き回るアリたち。駆け回り、駆け戻り、何かをくわ

え、上へ下へ。そのざわめきが幾重にも重なって、さっ

きのうめき声も消し去るほどだ。

 ディスプレイボードが並んでいる。一つを覗くと、画

面は真っ暗で、心電図のような光点がゆっくりと、左上

から下へ、さらに折り返して右上へ、右下へと、グラフ

を描く。一往復すると、ぱちっとシャボン玉のようには

じけて、今度は金平糖の形の光点になった。さっきのお

釣りの星くずのようだ。

「脈拍を測っている」

 顔を上げると、あたしと同じ大きさの真っ黒なアリが、

触覚を振りながら説明してくれている。

「誰の?」

「この船の、ですよ、ぼっちゃん」

 アリにぼっちゃんと言われてむっとした。

 けれど気がつくとぼくは紺の半ズボンの制服を着た男

の子になっている。胸には空色のチューリップ形の名札。

だが名前を記す場所はまったくのブランクだ。



 そのとき、壁の非常ベルが鳴った。



 び・いーっ、いーっ、いーっ!
 

           <3>



 画面の光点が消えて、にじんだような深紅の文字が現

れる。



  BREAK IN!  BREAK IN!



「とびこみ記事! オペレーション、ストップ!」

「救難信号、キャッチ!」

「動力室へ連絡!」

「第三エリアが救助に向かいます。バックアップ要請!」

 き・いーん、いいーんときしりながら、あちこちのス

ピーカーの音声が一つの束になり、光ケーブルのように

フロアじゅうをめぐった。アリたちは倍速で駆け回って

忙しそうだ。中の一匹がまっすぐぼくの方へ駆けてきて、

先端がぬれたように黒光りする触覚で、名札に何か文字

を書きつけた。

 フロア中央にはマストのような巨大な丸柱があり、半

透明な内部がリフトになっていた。ピストンみたいにそ

のリフトが上下している。

 と、ドアが開き、中から白いアリが4本の腕を使って

さかんに手招きし始めた。残り2本で足踏みしながら、

「早く、早く!」

 ぼくを、呼んでいるのだ。気づくと同時に走っていっ

て飛び乗ると、ず・うーん!

 リフトは一気に奈落へと落ちてゆく。光・闇、白・黒。

何度か入れかわり、やがてシャッとドアが開く。

 そこは暗く脈打つ、心臓の内部のようだ。



 ど・しん、ど・しん、ぐ・おん、おおん



 轟音がひっきりなしに辺りをふるわす。何十メートル

もの高さの、巨大な油くさい鉄のピストンが、上・下、

上・下とエネルギーを送り出す。化け物のような歯車が、

狂った抽選箱のようにぐるぐる回る。そこへ、

「輪転ストップ! 輪転、ストォォップ!」

こだまする大音声は、一緒に下りてきた白いアリ。とた

んに、ず・しん!と機械は止まり、怪獣のため息のよう

な、ふしゅーっという風が吹き抜けた。


        てんりんじょうおう
 「工場長だ! 転輪聖王」

その声に仰ぎ見ると、機械たちの間を貫く脊椎に似た白

いブリッジを、しずしずと長い裳裾をひきずりながら、

黒い仮面の姿が近づいてきた。ぼくの前で立ち止まり、

確かめるように首をかしげて、ぼくの目をのぞきこむ。

 仮面の奥の目は、深淵のブラックホール。光と未来が

閉じこめられて、解放を夢見てうるうる回っている。高

速輪転機、燃える風車、それともねずみ花火か?

「最終版に間に合ったね」

墓場のカラスみたいなしわがれ声が、突然おそってきた

機械の静寂に吸い込まれ、油じみたこだまをはき出した。

 ぼくはそのこだまに包まれ、闇の目に魅入られて、方

向感覚も重力もなくした。うすっぺらになって、転輪聖

王の目の中にやきつけられ、ぼくはネガになってくるり

と回る。ぼくを抱いた女王がとつぜん闇の衣を開くと、

星くずに飾られた巨大な蜘蛛の巣が天井をおおった。

「…よろしい。降版なさい」

「了解、抜錨します!」



 再び、機械の動き始めるとどろきが聞こえた。

「刷版オール・ラジャー。輪転、再開」

「磁場、よし! 動力、よし! 最終ロック、解除!」

「3、2、1、発進!」



 ぐ・おーん、どんどど、ぐ・おーん、どどど…



 ブリッジから見下ろすと、下は底なし沼のような黒い

水面。輪転機が回るたび鉄の外輪が水をかく。泡立つ暗

い水のおもてに、ガソリンを流したような虹色の映像が

流れていく。それは森羅万象の影、この真夜中の地下工

場で人知れずつくられた、あらゆるニュースたちだった。

 「どこへ行くんですか」

ぼくは工場長であり船長である女郎蜘蛛/転輪聖王に訊

いた。

「『あした』へ行くのです」

「ぼく、間に合ったんですね」

「そう、おまえが今日の最後でした」

 ぼくは転輪聖王の後について長い長い螺旋階段を上が

り、ビルの屋上へ出た。ヘリポート、白いマスト、満艦

飾の星くず。林立するビル群はいっせいにきらめきなが

ら、ぐ・おーん、ぐ・おーんという汽笛とともにゆっく

り川を下り始めていた。遠く、ターミナル・ビルが灯台

のようだ。
     あした
 河口から朝へ続く大洋へ、ナカノシマは今、漕ぎだし

てゆく。




 
                     おわり



    *今は建て替えられなくなってしまいましたが、地下
     に輪転機のある印刷工場をそなえた、新聞社のビル
     がモデルのお話でした。
by Hanna
 


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