タイトル・挿絵は新聞連載より、畑アカラさまです。

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              かずや
 夏だ。キャンプだ! ぼくは和也と「セミネ山自然の

家一泊二日」に参加する。いよいよ今日、出発なんだ。

おっ、和也のやつ、まっ白な新品の虫とりあみをかつい

できたな。

「セミネ山っていうぐらいだから、セミがたくさんいる

ぜ、きっと。つかまえるぞぉ」

「…和也、虫かごは持ってきた?」

「え? わっ、忘れた!」

 和也はいつもこんな調子なんだ。

 ぼくたちは、キャンプ・リーダーのおじさんを先頭に

山道を歩いていたが、前を行く黒ブチめがねの子がふり

むいた。

「ぼくはかんさつケース持ってきた。貸すよ」

見ると、それは銀色の虫かごで、かた側に拡大レンズが

はめこんである。

「すげー、かっこいい」

 感心するうちに、道は上り坂になった。ギラギラまぶ

しい行く手の山は、ばかでかい深緑のブロッコリーのよ

う。ジージーとセミの声がやかましい。さすが、セミネ

山だ。

 川べでお弁当を食べ、また歩いて、ようやくぼくらは

「自然の家」に着いた。

「なーんだ、ただのふつうの家じゃん」

 和也はまっ先にくつをぬいでドカドカ入っていったが、

すぐに

「わっ、何あれ!?」

不安そうな声が聞こえてきた。行ってみると、和也は大

きな部屋のまん中で、白目をむいて見上げている。天井

にひらたい電灯があって、そこに、木の葉のようなぶき

みな影がうじゃうじゃといっぱいうつっているのだ。

 黒ブチめがねや、ほかの子たちも次々やって来た。最

後に、「自然の家」のかんり人だというギョロ目のお姉

さんが来て、みんなの見ているものに気づくと言った。

「あれはね、夜にあかりにひかれて集まったセミの死が

いよ」

 女の子たちがきみわるそうにあとじさった。

「ほんとにここはセミネ山だなあ」

 和也のつぶやきにも、さっきのいせいはない。

 その時、リーダーのおじさんの声がした。

「おーい、外でバーベキュー始めるぞ」

 みんなはだまってぞろぞろと部屋を出た。



 夕食、おかし、キャンプの歌にクイズ大会。それから

まだまだ、もりだくさんだ。ぼくらはすっかり元気づき、

何でもこいという気分になった。やがてギョロ目姉ちゃ

んが、

「食後の運動! 夜の森たんけんに出発」

と号令をかけると、たちまちみんな一列になって、細い

まっ暗な山道に入っていった。

 さっき夕だちがふったので、森には水がいっぱいだっ

た。太いみきはぬれて黒ずみ、やぶが服にこすれると、

ザッと水がかかる。頭上のえだから大つぶの水てきが、

ぼくの頭のてっぺんにポタッと落ちて、びっくりさせら

れる。

 前を行くのは、しめった足音をたてる黒ブチめがね。

じまんのほ虫あみをかついだ和也は、ぼくの後ろ。もっ

とあとからは、ささやき声をたてながら女の子たちが続

く。

 息をすうと、森の空気がぼくのむねの中へ流れこんで

きた。右も左も、木々と下草のひみつめいた暗がりだ。

大きなまっ暗などうくつの中にいるような、ぶきみな感

じがだんだん強くなる。もうだれもしゃべらない。声を

たてるな、夜の森だぞ! ほら、知らない虫がはい回る

気配がする、シダの若葉がひらく音がする、ポタポタし

たたる水、ぬれたクモの巣、それから…それから…



「あれ、何だろう?」
 

           <2>





 ほら、耳をすませ、目をこらせ。何か小さなものがた

くさん出てくる。しめってやわらかな、去年のかれ葉を

かきわけて…

「何だろう?」

 細い木によじのぼる…ゆっくりと…目がさめたばかり

のように…ほら、あちこちで。

 その時、暗かったあたりの景色が、映画館のようなう

すあかりにてらされた。

「月だ」

 ぼくは上を向いて思わず声を出した。

「おい!」

 和也が息をつめた声でぼくをつついた。

「見ろよ…のぼってくるぞ…」

 ほんとうだ。ぐっしょりぬれたやぶや低木のあちこち

に、ぞろぞろのぼってくる、羽のない茶色の虫がいた。

かぎのついた前足でひっかけながら、一歩一歩ゆっくり

進む。ひらたい頭に丸い大きな目がとびだした、何十と

いう虫たち。それから、

「和也! 白いのが出てくる! 茶色がわれて、白いの

が。あっ、黒い目がついてる」

ぼくはこうふんしてささやいた。森のあちこちで、白い

ものが月光にぼーっと光っている。ぼくらは時を忘れて

その光景を見つめた。

「これは、セミの子供たちよ」

 ギョロ目姉ちゃんのしずかな声がした。

「六年間も暗い土の中ですごしたあと、こうやって羽の

あるすがたに生まれ変わるの。最初はまっ白でやわらか

い。だんだんにからだや羽がのびて、そして……」

「やっほー、かんたんにつかまえられるぜ!」

 黒ブチめがねの大声に、ぼくはハッとわれにかえった。

黒ブチめがねは、もう茶色い幼虫を一ぴき、手に持って

いる。枝からひきはなされた幼虫は、かぎのついた前足
       くう
でのろのろと空をかいた。

「つかまえよう!」

 和也も急にいさましくさけび、さっそくやぶをのぼっ

ている一ぴきに手をのばした。

 さあ、それからみんなは一度にざわめきたって、かん

声をあげながら幼虫をつかまえ始めた。その間にも、次

々とま新しいセミが幼虫のからをやぶって出てくる。

 ぼくも手近な幼虫をそっとつかんだ。わりあいかっち

りしている。うるさく鳴いたり、ぶかっこうに飛び回っ

たりするおとなのセミにくらべて、こいつは何て無口で

おちつきはらっているんだろう。

 黒ブチめがねは、今度は高い枝にじっととまって、今

にも皮をぬぎ始めそうな大きな幼虫に手をのばした。

「もうつかまえるのは、いいでしょう」

 急にまた、ギョロ目姉ちゃんの声がした。

「だって、たくさん持ってって観察するんだ」

「…もう三びきもとったじゃないの。さあ、そろそろも

どるわよ」

 そこで、みんなは回れ右をした。また一列になって歩

きだす。

 その時ぼくは、黒ブチめがねが虫かごのふたをいじっ

ているのに気づいた。

「あれ、おまえ、それ…」

「しっ、ギョロ目にはないしょだぜ」

 黒ブチめがねのやつ、いけないと言われたあの大きな

幼虫を、やっぱりあきらめきれずに枝からとって虫かご

に入れたのだ。ぼくは何も言わずに和也のあとから歩き

だした。

 帰り道はずいぶん長く感じられる。月も雲にかくれた

のか、またまっ暗になり、背中がゾクゾクした。やがて、

森からわきでるような低い声が前方から聞こえてきた。
 

           <3>





 どうやらギョロ目姉ちゃんの声らしい。

「…ある夏の朝、キャンプに来た子たちが、セミの子供

をたくさんとったの。都会の子にはセミがめずらしかっ

たのね。虫かごに入れて部屋においといたのよ。ところ

が夕方見ると、小さなかごにすきまもないほど、おとな

のセミがぎっしりつまっていたの。どのセミも羽や体が

曲がったり、ゆがんだりしていたわ。脱皮したのに、せ

まいので体がうまくのびないまま、かたまってしまった

のよ。

 みんなはびっくりしてかごをあけた。でもそのセミた

ち、まっすぐに飛べないの。そして、あかりに目がくら

んで、ひとばんじゅう天井でバタバタもがいていた。…

朝になると、みんな電灯の上で死んでいたの」

 ぼくらは息もできないほどシーンとしてしまった。暗

がりが体にしみこむようだ。と、前を行く和也が急にく

るっとふりむいた。

「おい、幼虫をにがせ。今の話、聞いたろ」

 和也にしてはめずらしくまじめなその口調に、黒ブチ

めがねはしぶしぶかごをあけ、

「一ぴき、二ひき、三びき」

幼虫をとり出して、道ばたの枝にのせた。

 けれど、ぼくはまた見てしまった。暗くてわかりにく

いけれど、黒ブチめがねのにがしたのは三びきだけだ。

最後にとったあの大きな幼虫は、かごのおくに残ってい

る。

 ぼくらはようやく暗い森を出た。



 次の朝。ぼくは和也の声で目をさました。

「おい、まだ一ぴき残ってるじゃないか!」

 和也は黒ブチめがねから虫かごをひったくり、ふたを

大きく開いた。そのとたん、

「あっ」

ぼくもふくめて全員びっくりした。中にいるのは茶色い

セミの成虫だが、両方の羽の先がまるでスカートのすそ

のような形にめくれあがっている。かごの底にあたって

ひん曲がってしまったのだ。“せまいので体がうまくの

びないまま、かたまってしまったのよ…”

「こいつ、飛べるかな」

 さすがの黒ブチめがねも心配そうな声を出して、かご

をまどから外へつき出した。

「よし、いいか。そら、飛べ」

 まぶしい朝日をあびて、スカートゼミの黒い目玉がキ

ラリと光った。と、ジジジ!

 しゃがれた声とかわいた羽音を残して、スカートゼミ

は飛んだ。先のめくれた羽で、ぎこちなく木立ちのほう

へ飛んでゆく。

「やった…よかった。飛べたねえ」

ぼくも和也も、ほっとして笑った。



 さて、キャンプももう終わりだ。

「さすが、セミネ山だったなあ」

 山道を下りながら、和也がしんこきゅうして言った。

「だってさ、おれ考えたんだけど、ギョロ目姉ちゃんっ

て、セミの女王さまとちがうか」

「そういえば、あのギョロっとした目は、セミそっくり

だったな」

「ばかいうな。ギョロ目はただのかんり人だ」

 急に黒ブチめがねがわりこんだ。

「でも、けさは見かけなかったよ」

「きっとギョロ目姉ちゃんは、スカートゼミといっしょ

に森へ帰ったんだ」

「それに、天井の電灯に黒い影なんて、けさはぜんぜん

見えなかったぜ」

「さっすがセミの山、セミネ山だなぁ!」

 だが、黒ブチめがねはむきになって言った。

「ちがう! この地図の漢字を見ろ。セミネ山ってのは
せみ      せみね
蝉じゃなくて、瀬峰山だ! セミとは関係ないんだって

ば!」



                     おわり  

      (1993年8月『公明新聞』日曜版に連載)
by Hanna
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