女性論ふろく――
 

<『指輪物語』から恋心とカップルを探せ!>


 恋心とカップルはどれくらい描かれているか?――非常に少なく、不完全だ

が…



1 トム・ボンバディル&ゴールドベリ

 二人のなれそめは語られず(ただし『トールキン小品集』に収録されている

詩「トム・ボンバディルの冒険」は、二人の出会いを歌っている)、事実上、

夫婦らしい会話もない。トムのゴールドベリへの態度は、中世騎士道風のレデ

ィへの敬愛を思い出させませんか?



2 アラゴルン&アルウェン

 二人の出会いとその後のいきさつは追補篇で語られる。本編では二人の間の

色恋めいた絆は、ほのめかしやまわりくどい表現に包まれてわかりにくい。

 ▽「なぜ宴会に出なかったんだ? アルウェン姫も出てられたのに」(第2

巻):ビルボのこの言葉で初めて二人の仲が推測されるのだが、答えるアラゴ

ルンのそっけないこと。「…だがわたしには楽しみをおあずけにしなきゃなら

ないことが度々あるのだ。」 ルシエンの歌を歌ったり、ビルボ作のエアレン

ディルの歌に緑の石を入れろと言い張ったりした彼の心には、実はアルウェン

への想いが秘められている…とは、再再読ぐらいした読者にしか分からない。



 ところでルシエンとベレンの歌だが、ここで歌われる最初の情景(ベレンと

ルシエンの出会い)こそ、トールキンと妻エディスの若き日の思い出の情景で

ある。彼とエディスは「永遠に森の中の広々とした空き地で出会っ」ていたと

トールキンが述べているのは、注目。恋心もカップルもめったに出てこない

『指輪物語』の中に、彼の青春時代の輝かしい恋のひとときが、いにしえの物

語詩という形に昇華して永遠化され、荒れ果てた野辺で心細い旅人たちの夜、

落魄の野伏アラゴルンによって歌われている。このような遙かなエコーとして

のみ恋のきらめきを伝える奥ゆかしさ?が、トールキンらしいところであろう

と、私は思う。



 ▽そして驚いたことには、アルウェン姫のかたわらには、アラゴルンが立っ

ていました(第2巻):彼が恋人と語り合う数少ない場面なのに、(何も知ら

ない)フロドの目からちらりと描かれているだけ。

 ▽アラゴルンは両膝に顔を埋めてすわっていました。これがかれにとって何

を意味する時であるかを完全に知っていたのはエルロンドだけでした(第2巻)

:この時点では読者にも全然知らされない。アラゴルンにとって人生最大のク

エストへの出発の日。王になれなければこれきり二度とアルウェンには会えな

い、そういう旅立ちの日だったのだ。

 ▽「アルウェン ヴァニメルダ、ナマリエ!」(第2巻):ロリエンの塚山

のふもとのアラゴルン。若き日の思い出にひたった後、アルウェンにさよなら

を言っているのだが、エルフ語の分からぬ読者は、鋭く勘ぐらなければ、チン

プンカン。

 ▽ハルバラドがアルウェンの作った旗と彼女の伝言をアラゴルンに届ける

(第5巻):アラゴルンは無言で北方を眺めて思いにふけるだけで、心の内を

表さない。心憎いまでのストイックさ。これが英国紳士風(トールキン流)だ

ろうか。そしてアルウェンの伝言の方も、言い回しは時代がかって固く、細や

かな恋心は読者が想像するほかない。

 ▽「もしわたしがわが心の住まうところに行けるとすれば、今ははるかな北

の方、裂け谷の美しい谷間をさ迷っていたいのですが」(第5巻):これは見

逃せぬアルウェンへの想いの吐露。

 指輪戦争の後、晴れて二人は結婚する(第6巻)。が、アラゴルンの戴冠の

描写に比べて、婚礼は、その事実の報告のみで二人の会話もなく、わずかにフ

ロドが白い石をもらう時、二人が寄り添ってくつろいでいることが述べられる

だけ。大体、戴冠式にフィアンセが来ないなんて!

 思うに、彼らの恋物語は、意図的に本編から排除され、必要最小限以上に削

りこまれている。その分が追補篇に入っているが、これは梗概であって生きた

物語には遠い。読者は想像力を結集して二人のロマンスを思い描かねばならな

い(それが結構楽しかったりする)。



3 ケレボルン&ガラドリエル

 熟年夫婦の会話その他、プライベートな話題はまるでない。ケレボルンはま

ったく存在感が薄い。二人が結婚したことは『シルマリルリオン』などに記さ

れている。



4 エオウィンのアラゴルンへの憧れ

 人間の乙女エオウィンは異国から来た英雄アラゴルンに恋心を抱くが、残念、

彼の心にはアルウェンがいました。一緒に行きたいと願って断られる彼女の姿

は、共感をさそう。

 ▽「殿についておいでになる他の方々とて同じではございませぬか。あの方

々は殿から離れたくないばかりについておいでになるのです――殿を愛してい

らっしゃるからこそです」彼女が苦しそうにこう言って、背を向けて去る場面

(第5巻)は、少女漫画的にきめこまかいセリフと描写が印象的。

 ▽ただ彼をよく知り、かれの近くにいた者だけがかれの面に苦痛の色が浮か

ぶのを認めました(第5巻):なおも連れて行ってくれと泣きつく?エオウィ

ンを振り切ったアラゴルンの図。できすぎですねえ。これも少女漫画的、理想

の男性像きわめつけ。



5 ファラミア&エオウィン

 口説き方がうまい、とされるファラミア。アラゴルンを正統派ヒーローとす

れば、ファラミアは少々やさ男だが、優しく上品な貴公子、戦いでは堂々とし

て勇敢、兄や父の陰になってきたような立場、思慮深く霊感も強い、などなど

魅力的要素がいっぱいの次男坊。

 ▽「わたしの…理性は世の終末に居合わせていると告げるのですが、わたし

の心は否というのです。…エオウィン、エオウィン、ローハンの白い姫君よ、

今この時、わたしにはどんな暗黒も長続きするとは信じられないのです!」

(第6巻):うまい物言い。この後に出てくる長ーい(トールキンにしては珍

しい)口説き文句も、すばらしい。エオウィンは彼にほだされた、と言えるだ

ろう。



6 サム&ロージー

 ロージーは、第5巻のサムの望郷の言葉に初めて現れる。「もう一度水の辺

村が見てみてえもんだなあ、それからロージー・コトンにロージーの兄弟たち

もよ…」ここで読者はおやっ、サムの口から女性の名が!とびっくり。その後

は帰郷して彼女と再会する場面へとぶ。

 ▽「あんたは死んじゃっただって、みんなはいってたよ。でもわたしは春か

らずっと、あんたがかえって来るだろうと心待ちにしていた」(第6巻):素

朴ながら、ゆるきない信頼の言葉。この信頼こそ彼女の強さだろう。サムは彼

女の中に「故郷のありがたさ」を感じたことだろう。

 ▽「あんたは一年もむだにしたわ」(第6巻):言い換えれば、ロージーが

このように迎えてくれたことで、サムにとって故郷はそれほど変わらなかった

のだ。

 そして物語の最後、サムがフロドを見送って帰った時も、ロージーはちゃん

と彼を待っていて迎え入れる。女性・家庭のかもしだすことのできる安堵と平

穏の空気がある。老エントの言った通り、「平和とは、物は置いた所にいつも

ちゃんとなければならない」ということだ。いつもちゃんと彼を待っていてく

れる妻と家(と子供)。トールキン自身の家庭の雰囲気が投影されているのだ

ろう。


<エオウィンはブリュンヒルドだ!>


 エオウィンは自分のことを「楯持つ乙女 shield maiden」だと2度言ってい

る(「楯持つ乙女ではなく、子守りなのでしょうか?」(第5巻)、「わたく

しはもう楯持つ乙女にはなりませぬ。」(第6巻))。また追補篇によると、

彼女は後に「盾の腕(左腕)の姫 the Lady of the Shield-arm」と呼ばれた。

 これらの言葉ですぐ思い出したのが、『クリスタルドラゴン』(あしべゆう

ほ作、コミックス)第6・7巻に出てきた「スカルメール(楯の乙女)」。男

性とともに戦に出、戦場で士気を鼓舞したり瀕死の戦士の魂を送ったりする女

戦士。

 エオウィンは辺境国(古代ギリシャ・ローマからみて北欧が北の辺境であっ

たような)ローハンの姫君であるが、男装し武装して決戦にのぞみ、怪鳥と幽

鬼に立ち向かうことで全軍の士気を高める。彼女がたおれたのを知った時、エ

オメルは「死だ、死だ、死だ!」と叫びながら「ローハンの大軍勢の先頭にま

っしぐらに駆け戻り、角笛を吹き鳴らして、大音声に進撃を命じ」るのである。

エオウィンは、スカルメールとして、名誉を求め死を恐れず戦へと馬を駆り、

男性たちを奮い立たせ、決死の戦いへと駆り立てるのだ。



 さらに連想されるのは、ワルキューレ伝説。北欧神話の世界でワルキューレ

は「楯の乙女 skjaldmaer」とも呼ばれる。父神オーディンの命令で戦場に赴

き、戦死者を選んで天上のワルハラ宮殿へ連れ去る戦乙女たち。中でもブリュ

ンヒルドはワグナーのオペラ「ニーベルンゲンの指環」で有名だ。

 ブリュンヒルドは父によって岩場で眠らされ、まわりには真の英雄以外誰も

近づけぬよう炎が燃えさかった。やがてジークフリートが炎を破って彼女の眠

りを覚まし、二人は愛し合う。―――エオウィンは、養父の側仕えをしながら

自分は檻の中にいると感じていた。彼女にとってアラゴルンは炎の垣を越えて

自分のもとに来たった英雄に見えたのではないか。ブリュンヒルドが愛馬とと

もにジークフリートの火葬の火の中へ走り込んで壮絶な死を遂げるように、エ

オウィンもアラゴルンとともに戦場に赴き生死をともにしたいと願ったのだろ

う。

 アラゴルンとアルウェン、エオウィンの三角形は、ジークフリートとクリー

ムヒルト(グズルーン)、ブリュンヒルドの三角形とは異なっているが、それ

でも『指輪物語』の中の唯一の愛をめぐる人間関係の三角形として、多少は注

目できるのでは?



 確かM・Z・ブラッドリーだったか、エオウィンはアラゴルンに恋をしたの

ではなく彼自身のようになりたかったのだ、というような意見を聞いたことが

あるが、私はそうは思わない。アラゴルンに対するエオウィンの憧れは、ジー

クフリートに対するブリュンヒルドの恋情であり、彼女は彼のかたわらに名誉

ある妃としてありたいと願ったに違いない。だからこそ、後にファラミアに

「もう王妃になりたいなどとは思いませんわ」(第6巻)と告白しているので

ある。



 (引用は評論社の文庫版ほか)
 

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