「旅」の物語――『グリックの冒険』
 

 たしか小学校3年生のころ、本屋さんの平台で、私を長いこと‘呼んでいた’

本がありました。あまりに吸い寄せられるのでとうとう買ってもらい、以後、

毎年秋になると読みたくなるこの本、『グリックの冒険』。

 『冒険者たち』(ガンバの冒険)で有名な斎藤惇夫さんの処女作は、かごか

ら逃げ出したシマリス、グリックの、とてもピュアな、旅の物語です。



§二段構成の旅



『グリックの冒険』の構成

 1.飼いリスのグリックが旅立つまで

 2.ガンバとの旅

 3.動物園のグリックが旅立つまで

 4.のんのんとの旅



 グリックが北の「うち」である森へ向かう旅は、二段構えとなっている。か

ごから脱走して第一の旅をし、動物園に到着。そこを目的地と間違えてしまっ

たのだ。動物園に居座りそうになった後、再び出発して、今度は本当に北の森

へたどりつくまでの旅。

 最初の旅は、足慣らしの練習のようなもの。距離も時間も短いし、何よりガ

ンバという旅慣れた案内人がいて心強い。

 ここでのグリックは、社会に出たての若者が‘研修’を受けるように、旅す

る(生きてゆく)ことの基本を教えられる。「ガンバのしっぽをくわえて」暗

やみをついてゆくというグリックの姿は象徴的で、歩き始めたばかりの子供の

よう。行く先も食べ物もすべてガンバに任せきりで、新しく開け始めた自分の

周囲の世界に驚きの目を見張る。

 動物園に着くまでに、グリックの体はたくましくなっている。研修の成果だ。

けれどガンバが正しく見抜いているとおり、他人についていくだけの旅は所詮、

「君の戦いではなかった」のである。ガンバと別れて独り立ちしてからこそが、

真の自分自身の旅(生きてゆくこと)となるわけで、ガンバが別れ際に歌う

「冒険の歌」は、そのはなむけとして意味深い。

 動物園を出発してからは、何から何まで自分の力を頼りに道をきりひらいて

ゆく、本当の試練の旅だ。グリックはのんのんとともに、道案内もなく助力者

もいない初めての土地を進んでいかなくてはならない。ここまできて、私たち

は、旅の本当の厳しさを感じる。

 第一の旅をステップに、そこで習った心構えを指針に、グリックは真の冒険

者となる。はなむけに送られた「冒険の歌」は、小舟の上で絶望と戦うグリッ

クの口をついて出る。第一の旅が基礎になって、グリックは第二の彼自身の本

当の旅を、力強く乗り切っていく。



§旅立ち――その外的・内的刺激



 かご・応接間・家

 グリックが最初に住んでいた空間は、居心地よく、住み慣れた、生ぬるい

‘現状’。私たちの日々の暮らしとよく似た都会の家は、私たちにとってもグ

リックにとっても、日常のせまい檻。あみ戸ごしに庭木と塀と、空が見える…

見えてはいるが手の届かない、忘れがちな夢や憧れ。出ようと思えば台所の流

し口から外へ出られるのに、実際には安楽な生活から踏みだそうとしない。



 外からの刺激

 そこへ伝書鳩ピッポーが、夢や憧れを象徴する「空」からやってくる。日常

のあみ戸につめをたててピッポーに憧れの視線をそそぐグリックの姿に、私た

ちは限りない共感をいだく。日々のルーティン(応接間をぐるぐる駆け回り、

廊下を往復するグリック)の中に、突然、矢のように射こまれた、外界からの

刺激。そしてグリックは日常の殻を破り、出発する。

 外界に足を踏みだしてまごつくグリックの前に、船乗りネズミのガンバと仲

間たちが現れて、冒険に満ちた人生を提示する。外からの刺激は男性的で、カ

ッコよく、甘いロマンに満ちている。



 旅立ちはいつも秋

 春の出立は、まあたらしい誕生だが、秋の旅立ちは人生の第二の誕生、つま

り大人になるための試練の始まり。夏生まれのツバメたちは、秋に第二の巣立

ちともいうべき南への旅へ出発する。春先に生まれ、夏の間、何不自由なく育

ってきたグリックにとっても、秋は成人への門出の季節だったのだ。

 もう一つの旅立ち、動物園からの出発も、秋の満月の夜。今度は、‘研修’

をつんだグリックは、応接間からよりは少しスマートに、決意に満ちたスター

トを切る。



 女性の押し出す力

 動物園からの旅立ちのきっかけとなったのは、のんのんの叱咤激励の叫びだ

った。応接間からの旅立ちも、最終的には姉のフラックの、追い出すような激

しい態度がグリックを動かす。

 ピッポーやガンバたちが憧れをさそい、外からグリックを引っ張るのに対し、

のんのんやフラックは、檻の中、かごの中からグリックを前へ押し出す。この

内なる力を体現するのが、メスすなわち女性であるのはちょっと注目。内的刺

激は外からの吸引力より決定的で、ある瞬間のみだが効果的にはたらく。
 
 ピッポーの誘いだけでは、グリックは(口では「北へ行く」と言いながらも)

本当には旅立てなかっただろう。動物園でも、グリックは口ではガンバたち冒

険家(外からの刺激)の物語をしながらも自分は動こうとしなかった。そんな

グリックを最後に旅立たせたのは、歯をむき出してせまるフラックであり、

「あなた自身の戦いの話をしなさい!」と叫ぶのんのんの声だった。

 フラックはグリックの姉だが、役割からして母親のようでもある。母親は子

供を胎内から産み出すとき、このように力強く‘押し出す’のだろう。また、

激しく叫んだのんのんも、その時は声だけで姿は現さず、まるでグリック自身

の心の内からほとばしった声のようにも聞こえる。



§グリックとのんのん――正と負



 この男性的・女性的イメージの対比は、旅を始めたグリックとのんのんには

っきり現れる。

 元気いっぱいで、故郷(見たこともない故郷ゆえ、理想化されている)への

明るい憧れを抱いて旅立つグリック。

 足が不自由で、その原因や母親の死という重い過去を胸に秘め北へ向かうの

んのん。

 実際の旅でも、遅れたりアクシデントに巻きこまれるのは決まってのんのん

である。旅の動機においても、実質においても、暗いマイナス面ばかり目立つ

のんのんの存在意義は、どこにあるのか。

 一方、かごに残ったフラックは、後に、ものも食べずに死んだと分かる。グ

リックを送り出しただけで死んでしまうフラックの存在意義は、どこにあるの

か。



 のんのんとフラックは、ともにグリックの正の明るさ・強さを陰で支える負

の側面である。前へ前へと駆り立てられるエネルギッシュな男性的な力を補う、

内側の、深いところからの、悲しみや苦しみを知る者の持つ力、それがフラッ

クとのんのんを叫ばせ、グリックを旅立たせた。

 フラックはグリックの肉親だし、のんのんもグリックとは「ちょっと見たか

ぎりでは…見わけるのに苦労するくらい似ていた」、つまりグリックの半身。



 フラックは自分の生命力までも、旅立つグリックに与えて死ぬ。

 のんのんは、動物園での叫びの化身、グリックの決意の証としてかれのそば

にいるのであり、その暗い負の面からひきだされる力は、うわついた憧れを地

に引き戻し、グリックに現実を見させ、試練を乗りこえさせる底力となってい

るのではないか。吹雪に閉じこめられ眠りこみそうなグリックが、

「のんのんの悪い足…のんのんのおかあさん…ああ、のんのん!」

と、そのマイナス面だったはずのものへの思いをこめて目を開ける場面は印象

的だ。

 のんのんは、一緒に旅立てなかったフラックのかわりにグリックを支え、と

もに北の森に行き着く。グリックの、のんのんへの理解によって、のんのんは

未来を獲得する。

 旅を終えたとき、二人は子供から大人になり、次の春には新しい生命を生み

出すだろうという予測が語られる。旅立ちの秋から試練の冬を乗り切れば、誕

生の春が待っている。



§ふろく:アサの実――安楽なかごの中のシンボル



 物語を通じて出てくる小道具、グリックの大好物「アサの実」。これは、安

住の地、安らぎ、なつかしい子供時代のシンボルのよう。



 かごの中

 アサの実は「切れることがなかった」。



 応接間のスリッパ

 グリックたちが貯蔵本能に駆られて遊びとしてためこんだアサの実。今の平

和な暮らしが続くようにとの無意識の祈りともとれる。



 グリックがほおぶくろに入れて旅立ったアサの実

 送り出したフラックの心遣いの象徴。旅に出たグリックにとって、フラック

のいる家とをつなぐ唯一の物、形見。

 最初の道路で立ち往生した時、グリックはすかさず「アサの実を一つぶかみ

しめた」。古巣とフラックのことを思って心を落ち着かせようとしたのだろう。

 ガンバの仲間に「捨てちまえ」と言われて、「このアサの実は、ねえさん、

食べないぞ。ぼくのうちにつくまでは」と、誓う。冒険者たちが「さあゆこう

…住みなれたこの地をあとに」とか、‘古い思い出は捨ててゆくがいい’(昔

なつかし『銀河鉄道999』のテーマ曲にそんな歌詞がありました)と言うの

に対し、グリックはまだ過去にしがみついている。それほど不安なグリック。



 クマネズミとの戦いのどさくさで、なくなったアサの実

 グリックはショックを受け「アサの実を落としてしまったって、ねえさん、

ぼくはわすれはしないさ」と心の中で呼びかける。が、「こうやって、いまガ

ンバといっしょに」…と、すぐに新しい友の方へ心が動いてゆく。ここでグリ

ックは初めて過去とのつながりを断つ。成長、前進。



 動物園で再びアサの実を見る

 「これじゃフラックのところと同じ」とがっかりするグリックに、もはや古

巣に対する執着はない。どころか、そのショックで、最初はアサの実を食べよ

うとしなかった。しかし次第にまたアサの実を受け入れてゆく。



 その後のアサの実

 動物園を旅立つグリックは、再びアサの実をほおぶくろいっぱいに入れてゆ

く。ただこのアサの実は、すぐ消費されてしまったのか、二度と物語中で触れ

られていない。

 旅の途中の食べ物の中には、アサの実は出てこない。同じようにグリックの

大好物でかごにいた時よくもらったクルミは、出てくるのに。アサの実は、北

の森にもない。

 大人になるということは、アサの実と決別すること、かも。




 引用はアリス館牧新社『グリックの冒険』より。

                (今はこの本は岩波書店から出ています)

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