現代的青年魔法使いの自立
 

 05年2月、原作未読のまま、ようやく「ハ

ウルの動く城」を観ました。どこまでが原作

でどこからが宮崎さんなのか分からぬまま、

いつもの勝手解釈を少々。



★大人なソフィ★


 本当にやりたいことは何なのか分からない。美人でない地味な自分にタメイ

キをついているような、…というソフィの設定(広告や雑誌等による)が、観

る前に、私の頭にインプットされていた。

 けれど映画が始まったとたん、ソフィでなくて倍賞千恵子がそこに居るよう
             ・・
に感じてしまった。私の中であの声は、彼女の固有のイメージ(=ほんとにほ

んとの優等生)をもろに現出させたので――、インプットされていた“負”の

ソフィではなく、父親の店を継いでこつこつと仕事をする日常を結構愛し、妹

ほど美しすぎず浮かれ騒ぎにも加わらない自分をそれなりに気に入っている、

マイペースで堅実な、大人の精神を持つソフィが登場したと感じた。
                                  ひと
 優等生だから、いきなり老女にされても、取り乱したり泣き騒いだり、他人

さまに迷惑をかけたりしない。自分で自分を落ち着かせ、家族を巻きこまず、

涙ひとつ見せずに独り家を出る。実にあっぱれである。

 もちろん、彼女の心のどこかに、このまま帽子屋に一生縛りつけられるのは

イヤだとか、家を飛び出して冒険してみたい、みたいな気持ちが隠れていたの

だろう。が、それは表立って表れぬまま、最初のショックからさっさと立ち直

り、感傷など超越してずんずん荒れ地へつき進むのは、やはり乙女ソフィの本

質が、もとからかなりゴーイング・マイ・ウェイなのだろう。



★坊やなハウル★


 対して、凄腕で美貌で孤高の魔法使いハウルの、なんというひどいありさま。

 もちろん、ゴテゴテと醜くポンコツな姿できしみつつ荒れ地をさまよう、さ

ながら要塞のような「動く城」は、凄腕で美貌で孤高の魔法使いの、幾重にも
よろ                   なか
鎧った孤独な心であるのだろうが、その心の内部でソフィが発見する彼の、あ
         なか
まりの醜態。――内部でさえキザったらしく恰好をつけたかと思うと、髪の色

ごときでだだっ子になったり、キラキラなおまじないグッズだらけの寝室で、

くたくたのぬいぐるみとともにお姫さまのごとく寝ていたり――わがままでさ

びしがりやで甘えたの坊や(思春期以前。子供である)に、「あ〜」と嘆息し

てしまう。



 そんなハウルはしかし、外界では魔法学校を卒業し王宮のサリマンの愛弟子

である超エリート(彼も優等生だ)、娘たちの伝説的アイドル、闇の中の戦い

では最強の魔力を持った怪鳥なのだから、世の中わからない。

 老女ソフィでなかったら簡単には受け入れにくいようなこのギャップゆえ、

城は、人を拒む荒れ地に、威嚇するようにそびえたち、他人には決して内部を

覗かせないのだろう。色分けしたノブを持つ魔法のドアから出入りするとき、

ハウルは、どれも肩の凝りそうな複数のペルソナ(仮面。外界に向けての根本

態度)をカンペキに使い分けている。



 けれど、内外ギャップのストレスよりも問題なのは、それだけの凄いペルソ

ナを操りながらも、彼自身が本当になりたいものが何なのか分かっていないこ

とだろう。

 ハウルは戦争がキライ。権力欲・金銭欲もなく、宮仕えもだめ。街角の薬屋

や村のまじない師系も興味なさそう。怪鳥になりきるほど悪人でもない。中味

が坊やなので、女の子にはふられるし、荒れ地の魔女(=円熟した女性)だと

怖い。これでは、せっかくの凄腕と美貌と孤高の存在も、なんにもならない。

 (それにしても。こんなにも、なんにもならないハウルの、何と凄絶に魅力

的なことか。キムタクの声がどの場面のハウルにもぴったりで、キムタクって

実はハウルだったのね、と妙な納得をしてしまった。…私は別に彼のファンで

はないのだが)



 この、大志を抱かない、滅私奉公のサラリーマンでもない、マイペースな趣

味人でもない、貧乏人でも悪人でもない、恵まれた青年ハウルは、等身大なイ

マドキの若者なのかな、と思った。大学を出てフリーターしていて、カッコよ

くて自由でお金もまあまああって。政治に興味はないけど、戦争はとにかく反

対で。時には、被災地や戦地の様子をテレビで見て何かしてあげなくちゃっと

ボランティアに駆けつけたり。

 まわりは彼にいろいろ期待するけど、それに添うべくがんばるほど子供じゃ

ない。でも無視して我が道をゆくほど大人じゃない。第一、道なんて見えない。

どうさがしていいのか分からないし、だからってジタバタするほど危機感もな

い。とりあえず“動く城”ごと、直面する問題からは逃げておく。

 「ぼくは臆病なんだ」とハウルは言うが、臆病ではない、精神的に子供、つ

まり自己不在なのでは?



★カルシファーと、おかあさんなソフィ★


 そんなハウルの城(=心)にもぐりこんだ老女のソフィが、まず見つけたの

が、暖炉の火(カルシファー)。彼女がほっと体を休めるのは彼の前。初めて

の会話の相手も彼。聞けば、城を動かしているのも彼だという。

 カルシファーは、ハウルの分身、魂の炎。昔話によくある、心身の安全のた

め、自分のいちばん大事な心臓を取り出してどこか別の所へとっておく、あれ

に似ている。複数のペルソナの、どれにも魂は入っていないわけだ。城にいる

カルシファーの言葉こそはハウルの本心。「みんながぼくをいじめるんだあ」

などと。



 ソフィは城の内部を掃除し、カルシファーもきちんとしてやる。これまた子

供のようにギャーギャーうるさく言うのを、あやしながら容赦なくつまみあげ

て火種入れ(?)に入れてしまう。自分で食べられるように薪を近くに置いて

やる。

 ソフィはつまり、母親のように城やカルちゃんの面倒を見る。あげく、ハウ

ル本人に対しても寝室へミルクを持っていってやり、側に座ってやるのだから、

すっかりママだ。



 そうして知ったハウルの正体(べたべたな性格、怪鳥への変身など)があま

りに子供なので、ソフィの母性本能はますますじーんと来てしまう。「もうこ

んな城出ていってやる」と雨の中へ走り出ても、あんな赤ちゃんをとてもほう

っておけない。あのどうしようもない、かわいい坊やを、なんとかしてあげな

くちゃ。私が助けてあげなくちゃ。



★恋の自覚★


 で、ついに母親役として王宮へ出向くソフィだが、荒れ地の魔女に会って自

分がほんとは18歳だったと思い出したようだ。階段登りの競争は、老女対決に

見えながら、じつはどちらがハウルの恋人候補として名乗り出るかの女の戦い

であったのだ、とあとから思った。

 なぜなら、ほんとうのハウルの“ママ”は、王宮にいたのだから。

 サリマン=加藤治子の、上品さの内に秘めた圧倒的な母の強さを前に、ソフ

ィは乙女に戻る。「あのひとは自由でいたいだけですっ」などと叫ぶ彼女の前

にハウルが現れてかばうあたり、甘ちゃんな“箱入り息子”をめぐって、母親

と未来の嫁との、ああなんて典型的な戦いの図。



 とすると要するにハウルはママコンなのだ。師匠サリマンは、ゆがんだ母性

で息子をエリートに育て上げて囲い込む、これまた現代的な母親だ。おまけに

この図式だと国王は、戦争に政治にと忙しく働く不在がちな“父親”で、結局

すべてを“母親”サリマンがあやつっている。

 あとの場面でソフィの実母をあやつって彼女をハウルから引き離そうとする

たくらみなど、息子を溺愛する知性派の母親の行動そのものだ。



 とりあえずソフィたちは母なる大地から飛びたって(=サリマンから逃れ)、

城へ戻る。このときハウルは、サリマンの母親的囲い込みの術中にはまりそう

になったところを、ソフィの恋人的助力(一言「だめ」と言い、たしか真っ向

から顔を押さえていた)で助けられ、カルシファー(彼の魂)へと導く指輪を

ソフィに託して、彼女を守るため敵を迎え撃ちにゆく。

 彼もまた、ソフィを母親がわりではなく、はっきり恋人と自覚して、ようや

く坊やから“男になった”。



 一方、城にはなぜか荒れ地の魔女もついてくるが、彼女が魔力を奪われ超老

女になってしまっているにもかかわらず、カルシファーを見て「なんてきれい

な火」とうっとり繰り返すところは意味深である。言い換えれば、なんてきれ

いなハウルの魂。なんて愛しいハウル。ということで、荒れ地の魔女はどうや

ら女性としてハウルに恋しており、ソフィのライヴァルだということになる。



★洞窟行★


 ハウルは、彼女を守るために戦って、相当ダメージを受ける。

 帰城した彼が隠遁する寝室奥の暗い洞窟は、まさに心の奥底の無意識の領域

で、そこでは彼は恐ろしい怪鳥(でもそれはそれで凄まじく美しいのが心憎い)

なのだが、それを、灯りを片手にかざして見極めるソフィの強さこそ、もうマ

マがわりではなく、真の愛に目ざめた乙女の姿だ。



 洞窟に入ってゆく場面は最後の方でも繰り返されていて、城の外側(鎧)が

崩れ落ちた後、ソフィは残った扉を開いて、指輪の青い灯(生命力的な赤でな

く、霊界的な青)を頼りにハウルの深層心界へ自ら赴く。おもしろいことに、

ここで指輪の灯は現在のカルシファーを指すのではなく、ハウルの心界の奥の

記憶の底辺にある、ハウルと一体化した当時のカルちゃんへと導くのである。



★恋する二人★


 ハウルは恋をして精神的幼児期を脱したようだ。しかし、ソフィに部屋や服

を与えるあたり、まだまだだなあ、と思えてしまう。確かに、老女にされたと

き捨ててきた自分の家をプレゼントされたりすると、ソフィは、せつないほど

嬉しい。でも、彼女が真に求めていたのは、“これまでと同じ自分”ではない

はずだ。

 おまけにハウルは、自分の原風景にある子供時代の小屋にソフィを住まわせ

ようとする。そうやって、手に入れた彼女を永遠化し、自分の心の、夢のよう

にキレイな花畑の中に、標本のように閉じこめてしまおうとするのだ。

 あんな人けのない所で「花屋になればいい」などと言うハウルのたわごとを、

賢明なソフィは退けている。



 ソフィはハウルのキラキラ・グッズのコレクションのように、城の奥深くに

キレイに飾られていたいのではない。彼女は彼とともに生きて、進んでゆきた

いのだ。



 恋を自覚したソフィは、積極的な行動を欲している。もはやマイペースで堅

実で大人な優等生ではなくなって、ハウルを救うため、何かやらずにはいられ

ない気持ちである。

 彼女は城を壊し、また壊れた城に戻り、カルシファーに水をかけたりする。

かなり言動がハチャメチャだ。なぜ城を壊すのか?という問いに対して宮崎監

督は「城を壊したかったのだ」とコメントしたらしい(新聞記事による)が、

とにかくソフィは、遠くで戦っているハウルのもとへは行けないので、彼の心

である城をつっついて揺さぶりをかけ、ガラクタな鎧をひっぺがしてスリム化

し、中味(=本来の心)をさらけださせたい衝動に駆られたのではないか。



 そして多分、彼女を守るためと言いながら、戦場に身を投じ怪鳥の姿で破壊

と殺戮を続け、人間的なものを失ってしまいそうなハウルには、城(の外側)

の崩壊や、魂に冷や水を浴びせられたことが、ショック療法のように効いたの

だろう。ハウルは、彼女のもとへ戻ってくる。



★それから★


 息子が自立してしまうと、母サリマンは戦争をやめると言い出す。そもそも

何が原因で何のための戦争かも明かされぬまま(ハウルもソフィも民衆も、誰

もそのことには興味がないようなのだ)。もしかして、ハウルを手元に呼び戻

すために、わざわざ彼女が戦争を作り出したのかもしれない(この種の母親な

らやりかねない)。



 一方、ハウルとソフィは、再建してちょっと緑も移植した城に仲良く乗って、

それまでぶざまに走っていたのとは対照的に、かろやかに空を飛んでゆくが、

さて二人はどこへ行き、どう生きてゆくのだろう。

 “本当にやりたいこと”は、これから二人でさがさねばならないようだ。ま

だまだ若く、前途洋々な二人を祝して、映画は明るく終わった。



おまけ: 真に大人なカカシのカブ★


 滑稽なカカシ姿や、魔法がとけた時のいかにも甘い姿にごまかされてはいけ

ない。無口ででしゃばらず、最初から最後まで要所要所でソフィを助け、何度

も命を救い、…ほんとうによくできた男性だった。

 とくに最後に崖っぷちで身を挺してソフィたちを守る彼の、勇気と騎士道精

神には感動。

 それなのに、彼の愛は報われない。報われなくても、怒らず騒がず、前向き

で、しかも押しつけがましくない。「うるさいなあー」などとまだガキくさい

セリフとともに目ざめるハウルに比べて、ものすごく人間ができている。だか

ら、ソフィに見向きもされないのだが・・・

 カブ王子に、幸いあれ。



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参考文献

 河合隼雄 『ユング心理学入門』(培風館) 、
 山中康裕 『絵本と童話のユング心理学』(大阪書籍)

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