B)「自分が愛するのにふさわしいものをまず愛せ」
リング リング
一つの円環を越え、より大きな円環へ到達するには、譲り渡しという、手放
し別れることの苦痛を伴う試練をうけながら、苦しい探索の旅をしなければな
らない。フロドも、どのホビットも偉大なすばらしい英雄ではない†。しかし、
彼らは天啓を導き手に(46)最善をつくさねばならない。トールキンは次のことを
くり返し主張している。すなわち、無常さの悲しみを知らねばならないが、絶
望してはならない。絶望は、冥王の最も強力な武器である[5巻157]。最善を
尽くし、あとは天啓に任せよ(人事を尽くして天命を待て)‡。そして一人一
人がなすべきことは、ガンダルフが言うように、その者ができるだけのことで
しかない。
この世の時の流れをすべて支配するのがわしらの役目ではない。わ
しらの役目はわしらの置かれた時代にわしらのよく知る田野の悪を
根絶する力を貸すべく能力を果すことであり、そうしてこそ後代に
生きる者たちがきれいになった土地で耕作ができようというものじ
ゃ。その時の天気までは責任が持てぬが。
[5巻268]
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このことはおそらく、トールキンが、戦争と、環境破壊の急速な進行という現
実の時代の中でも感じていたことであろう。
デザイン
ホビットや我々のようなただのつまらぬ者(everyman)は、大いなる意匠を
一時には理解することはできない。しかし悲しみを伴う人生の探索は「かれに
叡知を教えるだろう」[メリーへの言葉、5巻249]、そしてその者を「悲しみ
を知り、賢くなった者」(47)にしてゆくのだ。そこで、メリーの言うように、
「思うに、自分が愛するのにふさわしいものをまず愛するのが最善じゃなかろ
うか」[5巻252]、つまり、我々に最も近いものを愛することである。ホビッ
トたちは故郷のホビット庄を愛する。バスチアンは父をまず愛し始める。父の
ために彼はファンタージエンから生命の水を持って帰ってきたのだ。そして私
は、ホビット庄に再び春がめぐり来て満開に花ひらき、バスチアンの父の目に
生命の水が涙として光るのを読んだとき、叫びだしたいほどの喜びにうたれる
気持ちがするのである。描こうとしていた大きな樹を、天国でついに得たとき
たまもの
のニグルが「賜物だ!(It's a gift!)」(48)と叫んだように。
(46)…参考:ミルトン『失楽園』12.647.タッカーのP.31に引用。
(47)…コールリッジ『老水夫行』624.
(48)…カーペンター『或る伝記』P.306の引用、トールキン“ニグルの木の葉”より。 |
†〈ふつうの人 everyman の働き〉 …everyman、 small manである
ホビットに、読者は親近感を覚え、また、トールキン自身の体験からも、ふつ
うの人・小さき人が世界にとって重大な役割を果している。「絶望的な形勢に
直面してなおくじけないごく微小な人間の不撓不屈の勇気の故に、われわれは
ここにいて、生きながらえているのだ」[第一次大戦の思い出を語るトールキ
ン、『或る伝記』P.209]、「世界の歯車を動かしてきた功業は、しばしばこ
のような過程をたどるものよ。大いなる者の目がよそを向いている時、小なる
者の手が、やむにやまれずして、それをなしとげるのだ。」[2巻109]。
★“ふつうの人”は、自分の身の回りから視野を広げていく。「自分が愛す
るのにふさわしいものをまず愛するのが最善じゃなかろうか…どこかに根をお
ろさなきゃならないんだから。たしかにホビット庄の土は深いしね。だけども
っと深くもっと高尚なものが存在していることはたしかだ。…うれしいことに
僕はそういうものが少しは分かっているんだよ。」[メリーの言葉、5巻252] |
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‡〈天啓のおとずれ〉 …“Everyman for himself, and God for us
all. Do your best and leave the rest to Providence." [英国のこ
とわざ] 要所要所で神の力は天啓 Providence となって輪をめぐらせる原動
力となる。「トールキンは『指輪物語』の中で分かりやすく、ある深遠なレヴ
ェルで伝統的な天啓が働いて出来事をくり広げていくさまを示している」[グ
ラント P.103]。
★天啓の訪れる条件は、斎藤惇夫『ガンバとカワウソの冒険』にある通り、
「悲しみを知れ、希望を捨てるな」。つまり、絶望する者は救われず、最後ま
で希望を捨てぬ者だけが救われる。『指輪物語』のデネソールが「西方世界は
衰微してしもうた。さっさと戻って焼けうせろ!」[5巻162]と、絶望して死
んでゆくのに対し、セオデンは「迷妄から出、暗黒から出て、日の上るまで/
…私は来た…」[5巻206]と、絶望を捨て、雄々しく戦死する。また、サムは
「はるばるここまで来たあとで、まだ諦めたくねえのです」[6巻114]、アラ
ゴルンも「悲しみのうちにわれらは行かねばならぬとしても、絶望して行くの
ではない」[6巻327]。
★希望を捨てずに本分を尽くした時、土壇場で天啓が示される。「すべてが
底をついた時、しばしば希望が生ずる」[レゴラスの言葉、5巻265]。それは、
天意を垣間見る“喜び”と、次の大きな輪への解脱のためのエネルギーの爆発
を伴って、物語の一大クライマックスとなる。そして、そのような良きファン
タジイをつくること(“準創造”)は、神による創造行為が人類にキリストの
福音をもたらしたのと同じことを、人間のレヴェルで行っているのだ、とトー
ルキンは言う。「私たちはその能力に応じて…創造の行為をします。それは、
私たち自身が創られたものだからです。そして、創られたばかりではなく、創
造主の姿に似せて創られているから、なのです。」[『妖精物語について』
P.108] |
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