リ ン グ
4.さらに大きな円環

A)第一世界と第二世界

            リング
 それでは、さらに大きな円環について考えてみる。それは、物語という「第

二世界」(41)と読者の我々の現実の世界という「第一世界」の両方を含む円環で

ある。今度は我々自身が驚きと共に自意識に目ざめ、長い探索の旅の末に、よ

り大きな意匠をいくらか垣間見、そして帰還するのである。このような過程は

『はてしない物語』で見事に描き出されている。バスチアンは本に触れた時

「彼の中で何かがカチンと鳴」る(42)のを感じ、本の中に入り込み、現実世界に

戻るためにつらい探索の旅をするのだ。『指輪物語』の場合、我々読者は古え

の中つ国の歴史の中に入り込み、フロドや仲間たちと共に驚くべき探索の旅を

経験する。そして彼らが去り「人間の時代の夜が明ける」とともに物語が終わ

ると、我々は、現実の「人間の覇権」(43)の時代へと戻ってくるのである。それ
           リング デザイン
ではこの、さらに大きな円環の意匠を作っているのは誰か? 私は、今度は、
リング
指輪の主は物語全体の創造主トールキン自身であると考える。

 トールキンが自らのファンタジイ観を語った“妖精物語について”による
                           わざ サブクリエーション
と、良いファンタジイとは、想像力と想像力を認め駆使する技( 準 創 造 の

技)でつくられており、読者を「“他の時”への扉」を開くような驚きで満た

し、読者に宇宙的な視野を与える、という。「我々は幻視的な高みから、世界

の谷間にある人間の家を見るように、見下ろしている」(44)という視野である。

この体験は「底に横たわる真実の実在を突然ちらりと垣間見ること」とされる。
            リング
つまり、隠れたより大きな円環に気づくということである。トールキンは垣間

見ることの喜びを福音と捕え、その垣間見の喜びは、第一世界をはっきりと見
    ヴィジョン
きわめる視力を回復するために、第一世界へ持ち帰られるべきであるとしてい

る。エンデはこのような「回復」を、ファンタージエンの女王幼ごころの君の

言葉の中で説明している。



ここにきた人の子たちはみなこの国でしかできない経験をして、そ

れまでとはちがう人間になってもとの世界に帰ってゆきました。か
        ファンタージエン
れらはそなたたち【 想 像 の生きもの】のまことの姿を見たゆえ

に目を開かれ、自分の世界や同胞もそれまでとはちがった目で見る

ようになりました。以前には平凡でつまらないものとばかり見えて

いたところに突然驚きを見、神秘を感じるようになりました(45)


 このようにして、小さな指輪からより大きな指輪へと長い旅をして来て、我

々は、故郷に帰るホビットたちのように、我々の現実の世界へと再び近づいて

ゆくのだ。そうして、「道はつづくよ、先へ先へと、/…/道を辿ってわたし

は行こう【逐語訳「もしできるなら、私は道を辿らねばならぬ」】」[ビルボ
             リング
の歌、1巻63]、より大きな円環へと。それは人の成長すなわち個性化のもう一

つの過程である。『指輪物語』はそのような過程についてもいくつかのヒント

を与えてくれている。例えば、アラゴルン王の、王妃アルウェンへの最後の言

葉もそうだ。



「悲しみのうちにわれらは行かねばならぬとしても、絶望して行

くのではない。ご覧! われらはいつまでもこの世に縛られてい

るのではない。【逐語訳「この世の輪につながれてはおらぬ」】

そしてこの世を越えたところには思い出以上のものがあるのだ。

では、ごきげんよう!」

[6巻327]


  (41)…4.の中の脚注のない引用は全てアイザックスのP.133〜49ほかのH.B.パークス“物語への批判的アプローチ”中に引用されているトールキン“妖精物語について”による。
  (42)…エンデP.16
  (43)…ベイズニーP.15
  (44)…ライアンP.20に引用されたトールキン“ベーオウルフ:怪物たちと批評家たち”による。
  (45)…エンデ『はてしない物語』P.236

†〈ファンタジイの機能〉 

 a)第二世界へとびこむ時の“驚き”wonder の効用──未知への扉を開き魂

を飛翔させる(「ワーズワースは日常の物事に新奇の魅力を与え、超自然に似

た感情を目覚めさせようと、慣れ切った無気力から人の注意を呼び覚まし、目

の前の世界の美しさと驚異という無尽の宝を示した」[コールリッジ『Biogra-

phia Literaria』14巻])。飛翔により、宇宙的視野を獲得する=より大きな

円環を垣間見ること(“宇宙的な道徳律の感覚”[R.J.レイリーからの引用、

ジェフリーP.107]、「心の翼をはばたかせることは、東洋の哲学者が言う

“神との合体”や“宇宙的感覚”の獲得につながる。」[荒俣宏P.68])。

 b)第二世界での喜ばしい大団円 eucatastrophe ──ハッピーエンドへのこ

だわり「…よき大詰めの喜び、不意の『好転』…などは、妖精物語がつくり出

しうるものの中で最もすばらしいものですが…それは突然の、奇蹟的な恩恵と

して…あらわれます。再びそれが起ることをあてにしてはなりません。それは

『不幸せな大詰め』の存在を、悲しみや失敗の存在を否定しません。これらの

不幸せの存在は、救われることの喜びにとってはなくてはならぬものです。そ

れは最終的な敗北が蔓延することを否定します。…そういう意味でこれは『福

音』と言ってよいものであり、『喜び』をかいまみせてくれるものです。この

世界を取り囲む壁の向こうに存在するあの『喜び』、悲しみと同様に人を鋭く

つきさす『喜び』を」[『ファンタジーの世界』P.132〜3]

 c)第一世界への“帰還”の効用──帰還によって、現実を再発見し、クリア

なヴィジョンを回復 recovery する「パンや黄金…ただの道でさえ、神話の中

に置かれることによって我々はそれを現実から遠ざけているのではない。我々

はそれを再発見するのだ」[C.S.ルイス『Tolkien and the Critics』]。

そして回復により、現実世界に“癒し”をもたらす。

‡〈より大きな輪への解脱〉 …同じ輪をぐるぐる回るのは「悪循環」、

世界は閉塞してしまう。

「指環は…ラインの水底に還った。円環は閉じた。…読者は第一巻

に投げ返され、同じ円環を再びめぐり始めるような錯覚に襲われな

いだろうか。…歴史の中で、私たちの周囲で、私たちの内部で、呪

われた指環は…めぐり続けているのだ」

[高橋康也『ニーベルンゲンの指環』の解説]
「バスチアンは、この物語がもう千回もくりかえされているような 気がした。…永久にくりかえされるこの環こそ、終わりなき終わり だった」 「何もかも永遠にくりかえされるのじゃ。…世界は空虚で無意味な のじゃ。何もかも、環になってぐるぐるめぐっておる」
[ともに『はてしない物語』]
また、めぐる輪の中で悪は完全に滅ぶことはなく、必ずよみがえる。

「敗北とそれに続く小休止の後、影は必ず別の形をとって、ふたた

び勢いを盛り返すものよ」

[1巻92]
 ★しかし、“天啓”がより大きな輪へと導く──終わりは新たな始まり。ミ

クロコスモスからマクロコスモスへ、輪は限りなく大きく、無数に存在する

(cf:宇宙の無限階層論[カール・セーガン『COSMOS』など])。悪循

環を断ち切って、より大きな輪へと解脱するとき、大きなエネルギーの噴出が

ある。例えば、指輪がついに壊されたときの火の山の大噴火。また、『はてし

ない…』では、バスチアンが幼ごころの君の名を叫んだときの「卵」の大爆発。

B)「自分が愛するのにふさわしいものをまず愛せ」

    リング         リング
 一つの円環を越え、より大きな円環へ到達するには、譲り渡しという、手放

し別れることの苦痛を伴う試練をうけながら、苦しい探索の旅をしなければな

らない。フロドも、どのホビットも偉大なすばらしい英雄ではない。しかし、

彼らは天啓を導き手に(46)最善をつくさねばならない。トールキンは次のことを

くり返し主張している。すなわち、無常さの悲しみを知らねばならないが、絶

望してはならない。絶望は、冥王の最も強力な武器である[5巻157]。最善を

尽くし、あとは天啓に任せよ(人事を尽くして天命を待て)。そして一人一

人がなすべきことは、ガンダルフが言うように、その者ができるだけのことで

しかない。



この世の時の流れをすべて支配するのがわしらの役目ではない。わ

しらの役目はわしらの置かれた時代にわしらのよく知る田野の悪を

根絶する力を貸すべく能力を果すことであり、そうしてこそ後代に

生きる者たちがきれいになった土地で耕作ができようというものじ

ゃ。その時の天気までは責任が持てぬが。

[5巻268]


このことはおそらく、トールキンが、戦争と、環境破壊の急速な進行という現

実の時代の中でも感じていたことであろう。
                                デザイン
 ホビットや我々のようなただのつまらぬ者(everyman)は、大いなる意匠を

一時には理解することはできない。しかし悲しみを伴う人生の探索は「かれに

叡知を教えるだろう」[メリーへの言葉、5巻249]、そしてその者を「悲しみ

を知り、賢くなった者」(47)にしてゆくのだ。そこで、メリーの言うように、

「思うに、自分が愛するのにふさわしいものをまず愛するのが最善じゃなかろ

うか」[5巻252]、つまり、我々に最も近いものを愛することである。ホビッ

トたちは故郷のホビット庄を愛する。バスチアンは父をまず愛し始める。父の

ために彼はファンタージエンから生命の水を持って帰ってきたのだ。そして私

は、ホビット庄に再び春がめぐり来て満開に花ひらき、バスチアンの父の目に

生命の水が涙として光るのを読んだとき、叫びだしたいほどの喜びにうたれる

気持ちがするのである。描こうとしていた大きな樹を、天国でついに得たとき
      たまもの
のニグルが「賜物だ!(It's a gift!)」(48)と叫んだように。


  (46)…参考:ミルトン『失楽園』12.647.タッカーのP.31に引用。
  (47)…コールリッジ『老水夫行』624.
  (48)…カーペンター『或る伝記』P.306の引用、トールキン“ニグルの木の葉”より。

†〈ふつうの人 everyman の働き〉 …everyman、 small manである

ホビットに、読者は親近感を覚え、また、トールキン自身の体験からも、ふつ

うの人・小さき人が世界にとって重大な役割を果している。「絶望的な形勢に

直面してなおくじけないごく微小な人間の不撓不屈の勇気の故に、われわれは

ここにいて、生きながらえているのだ」[第一次大戦の思い出を語るトールキ

ン、『或る伝記』P.209]、「世界の歯車を動かしてきた功業は、しばしばこ

のような過程をたどるものよ。大いなる者の目がよそを向いている時、小なる

者の手が、やむにやまれずして、それをなしとげるのだ。」[2巻109]。

 ★“ふつうの人”は、自分の身の回りから視野を広げていく。「自分が愛す

るのにふさわしいものをまず愛するのが最善じゃなかろうか…どこかに根をお

ろさなきゃならないんだから。たしかにホビット庄の土は深いしね。だけども

っと深くもっと高尚なものが存在していることはたしかだ。…うれしいことに

僕はそういうものが少しは分かっているんだよ。」[メリーの言葉、5巻252]

‡〈天啓のおとずれ〉 …“Everyman for himself, and God for us

 all. Do your best and leave the rest to Providence." [英国のこ

とわざ] 要所要所で神の力は天啓 Providence となって輪をめぐらせる原動

力となる。「トールキンは『指輪物語』の中で分かりやすく、ある深遠なレヴ

ェルで伝統的な天啓が働いて出来事をくり広げていくさまを示している」[グ

ラント P.103]。

 ★天啓の訪れる条件は、斎藤惇夫『ガンバとカワウソの冒険』にある通り、

「悲しみを知れ、希望を捨てるな」。つまり、絶望する者は救われず、最後ま

で希望を捨てぬ者だけが救われる。『指輪物語』のデネソールが「西方世界は

衰微してしもうた。さっさと戻って焼けうせろ!」[5巻162]と、絶望して死

んでゆくのに対し、セオデンは「迷妄から出、暗黒から出て、日の上るまで/

…私は来た…」[5巻206]と、絶望を捨て、雄々しく戦死する。また、サムは

「はるばるここまで来たあとで、まだ諦めたくねえのです」[6巻114]、アラ

ゴルンも「悲しみのうちにわれらは行かねばならぬとしても、絶望して行くの

ではない」[6巻327]。

 ★希望を捨てずに本分を尽くした時、土壇場で天啓が示される。「すべてが

底をついた時、しばしば希望が生ずる」[レゴラスの言葉、5巻265]。それは、

天意を垣間見る“喜び”と、次の大きな輪への解脱のためのエネルギーの爆発

を伴って、物語の一大クライマックスとなる。そして、そのような良きファン

タジイをつくること(“準創造”)は、神による創造行為が人類にキリストの

福音をもたらしたのと同じことを、人間のレヴェルで行っているのだ、とトー

ルキンは言う。「私たちはその能力に応じて…創造の行為をします。それは、

私たち自身が創られたものだからです。そして、創られたばかりではなく、創

造主の姿に似せて創られているから、なのです。」[『妖精物語について』

P.108]

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