プロローグ
ま
ある年の夏至の夜のことだった。晴れて、星が撒きち
らした草の種のように見え、牧場には炎が燃えていた。
きん
そのまわりで元気な若い衆が、チョールン琴の音にあわ
せてまだ踊っていた。ぱちぱちと薪がはぜ、明るくて眠
ご ちそう
れぬ牛の声、御馳走の残りを嗅ぎ回る犬のたてる物音、
そして歌声が夜をにぎわしている。えんえんと続いた宴
はおおかたしまいになっていて、男たちは草の上にひっ
くり返って高いびき、女衆はとっときの焼き菓子を切り
分けたり、りんご酒を飲んで陽気にしゃべったりしてい
る。大気は虫除けの煙や育ちざかりの草の匂いで満ち、
大地と山々の杯からあふれ出るようだ。
丘の上の天幕では、老齢の領主とその家族――奥方、
息子夫婦、娘、それに戦で死んだ長男の嫁が上座に連な
り、素朴な恋物語や家畜争い、謎かけ歌を楽しんでいる。
ぶどう
皆の称賛を特にあびた楽人は、金貨や葡萄酒や、一番麦
のパンをもらったり、時には姫君や奥方から緋色の楽人
たまわ
のマントを賜ることもある。
「さて次は誰じゃ。夜は長い。一度歌った者でもよいし、
今までまだかと出番を待ちわびておった者でもよいぞ」
白くなった顎ひげを片手でなでながら、領主は、ひとか
たまりにすわっている楽人たちを眺めわたした。彼の息
子や娘たちは、よくみのった麦のような金色の髪をして
いた。席に連なる人々にも金髪や茶色の髪が多い。
楽人だけが、さまざまだった。熟した果実を半分に割
った形のセレーイ琴をかかえた黄色い髪の者、火の琴ル
ビアーナを持ち髪を赤く染めたルビア信徒、白鳥琴と笛
を聞かせる黒髪の民の二人連れ。この近くに住む年寄り
のセレーイ弾きは、すでにいくつも陽気な歌を聞かせて
いたし、領主の娘の金髪の姫君も六弦の平琴を披露して
いた。
こっけい
「では次の奏者が決まるまで、わたしが皆さんに滑稽な
小唄をお聞かせしますぞ」
地元の老人がそう言って、古びてにぶく光る愛用のセレ
ーイ琴を取りあげた。歌づくしのこの夜には、歌楽が絶
えると害虫や魔性のよくない者たちが集まって悪さをす
ると言われていたのだ。
ばち
ところが老人が牛骨製の白い撥をかまえたちょうどそ
の時、天幕のはずれでざわめく気配がした。末席の者や、
歌を聞きに周囲に集まった者の中から、
「新来の楽人だ」
という声がし、道をあけた人々の間を通って男が一人、
あらわれた。
うたびと
「旅の伶人です、殿」
誰かが上席に取りついだ。
「こりゃちょうどいい」
老セレーイ弾きはそうつぶやいて、(少し残念そうに)
横手の一段高い壇からおりた。
招かれて客人は、二列に
並んだ食卓の内側を、領主
の前に進み出た。古風なお
たいまつ
辞儀をすると、松明の光が、
羽織っている赤茶けたマン
トのひだに濃い影を落とし
た。
「初めておいでの方じゃな」
領主がしげしげとその顔を
覗きこみながら声をかけた。
楽人は高すぎも低すぎもし
ない背恰好、白い顔とくすんだ青灰色の目、枯草色の髪
をして、領主一家と同じく北方系の人物と知れるが、年
齢はいくつとも判じかねた。表情にとぼしい顔は何か目
に見えぬヴェールにおおわれて、本当の姿は隠されてい
るといったような、一種不思議な雰囲気がある。日光に
しなびた草に似た、ゆるく縮れた長い髪を背中に負い、
右手には、マントに半分隠れて、背板のついた竪琴を持
っている。
いっこん
「まずは一献、そして食事をしながらくつろいで下され。
いや、この山深い地へようこそ」
「ご領主どのにはご機嫌うるわしゅう。また家族の方々
にも、列席の方々にも。海鳴り遠きこの地にも、みのり
きび
の麦が波のざわめきを伝えたことをお喜びし、黍の害虫
どもが星祭の歌によりて逃げうせますよう。ところでわ
たしは下のかがり火のところで、たっぷり御馳走になり
ました。教えられてこの天幕へご挨拶にまいったのです」
いたつき
「では杯を受けられよ。そしてさっそくその板付九弦の
いにし
音色を披露してくれぬかの。そなたの言葉には古えの青
海王国の響きがある」
赤茶のマントの客はわずかに微笑して目を伏せた。霧
のかかった湖面のような目だ。老領主は、楽人が古くよ
い家の出に違いないと思ったが、何も尋ねなかった。う
ちつづく戦乱の混迷で、都は一夜にして灰になり、荒れ
野の賊が王を名乗る時代であったので。
「わが父はクレイシ王とともに、この半島に船で戻り来
たのが自慢じゃってな。息子のわしももう老いぼれてし
まったが、今もこの山あいの地で細々と昔ながらのくら
しをしているのじゃ」
すると楽人は遠くを見る目をして、またかすかにほほ
えんだ。
「この祭のにぎわいを見れば、ご領主どのが青海王国の
たが
ならいを今も違えず続けておられることがよく分かりま
す」
「今年は珍しく戦がないでな」
老領主は笑った。楽人の言葉は彼の気分をひきたたせた
ようだ。
「では、どうじゃひとつ、古えの青海王国の物語を歌っ
てくれぬか。闇の者どものはびこるご時世に、わしらは、
その昔、森の王なる一角獣の守りたまうこの地へトスティ
うみどり
リーラが流浪の民を導き、ハルティウィントスが海鴎の
旗印を掲げたという王国の伝説を、大切に思うておるの
じゃ。それに、王国が滅び、再来されたトスティリーラ
とともに西の海へ逃れたわれらが祖父や曽祖父たちが、
この地を取り戻そうと血みどろの戦をくり返してきた歴
史もな」
われ知らず早口になる老領主の言葉を、楽人はじっと
聞いていた。そして、しばらくの沈黙の後に言った。
「ではご領主と列席の方々のために、一角獣の地の歌物
語を、それもかの青海王国の最後の日を歌った話をいた
しましょう。何ゆえ王国を守る森の王、一角獣が死した
のかを」
そうして、枯草色の髪の楽人は竪琴を奏でながら歌い
始めた。
これは彼の歌った物語である。 |