5
魔法使いは幾重もの首飾りのうち、一番長いものにつ
うみどり
けた海鴎の形のヒスイを片手でもてあそびながら、塔の
窓から西の海と浜辺、そして城壁と敵とを見ていた。
下の方からひっきりなしにすすり泣きやうめき声が聞
こえ、また武具のふれあう音、重い足音なども行き来し
ている。
振り返ると、王子は大きすぎる王座に腰かけたまま、
眠っていた。彼の名はクレイシ、「宝」の意味だ。
魔法使いはしばらくの間、微動だにせず窓辺に立って、
王国の幼い宝の寝顔を眺めた。山越えの吹雪の中で逝っ
たうら若い王妃の腕から、彼が抱きとってここまで連れ
てきた王子の、小さな寝顔を。
それから足音をたてぬよう部屋を出て、内側の城壁ま
で下り、生き残りの味方を束ねている年取った貴族のと
ころへ行った。
6
ぞう
老貴族はつくりも見事な鎧をまとい、神々の似姿を象
がん
嵌した美しい銀の楯を持ち、白髪を宝石のついた紐で編
んで緋色のマントの背に垂らしていた。装束一式は、討
ち死にした息子の形見で、楯には喪のしるしの灰色の絹
のリボンがゆれている。
「これは、〈魔術とともなるお方〉」
老貴族は魔法使いを迎えてわずかに顔をほころばせた。
長衣を着た魔法使いがかたわらに立つと、二人の姿は絵
のように美しくみやびやかだったが、それを見た人々の
嘆きの声は、いっそう大きくなるかのようだ。
いにし
城壁の下から、戦士らの歌う、古え伝えのトスティリ
ーラの歌が聞こえた。このせっぱつまった瞬間に、彼ら
はなおトスティリーラの再来を空しく願いつづけていた。
だが、輝きわたる日の光のような長い髪をかすかな海
風になびかせた魔法使いは言った。
「もはやあの歌も、われらの心に望みをもたらしてはく
れぬ」
7
「最後の力は空しい祈りより、別なところへふりむけよ
うとわたしは思う」
「東のかた、山の彼方の白き宮に、味方は残っていましょ
うか」
老将はしわがれた声で低く尋ねた。
コ ー ル
「わたしは〈閉ざされし山〉の向こうを見ることはでき
ぬ。だが東に誰かが生き残り、われらに援軍を送り出し
てくれたとしても、その援軍はコール山よりこちら側に
は来ておらぬ。来ていればわたしに見えるはずだから」
そして魔法使いは少し言葉を休めたが、またすぐに、
老貴族の顔をじっと見ながら言った。
「今となっては、援けは限りある記憶の持ち主からはも
たらされようもない。だがわたしは魔法使いだ。
わたしは――、コール山へ、一角獣を求めに行く」
8
しわの奥の細い目が、驚きと畏れのあまり大きく見開
かれた。老貴族が何か言おうとして口を開きかけると、
それを制するように魔法使いが言った。
「コール山は畏れかしこき神の山、それはわたしも知っ
ている。かしこに棲む一角獣は〈森の王〉、一角獣がお
わす限りこの半島の平和は保たれる、ということも。
なればこそわたしは行くのだ。一角獣がまことこの地
の安寧を守る神ならば、この身を捧げても今の窮状から
救うていただくつもりだ。
また古書にいう、初代の王、美わしの青海の君ハルティ
ウィントスは、限りある記憶の持ち主としてはただ一人、
かの山に行き、一角獣を見いだして、偉大な力を授かっ
たと」
「さ、されど…されど、魔術とともなるお方、それは初
代王君なればこそできたこと。それよりたれ一人、王で
すらコール山に足を踏みいれた人間はおらぬということ
も、お身さまは知っておられましょうに」
9
「むろん知っている。だが、わたしの先祖はハルティウィ
ントス王の血筋をひいている。わが内で、古えの力が育
っているのだ…おのれでも恐ろしいほどに。
わたしが行かずして、誰がかの山へ行けよう? われ
らの滅びは刻一刻と近づいてくる。急がねばならぬ。城
お
が陥ちれば、青海王国の最後の宝が失われよう」
「それはまことにその通り。お身さまはたぐいまれな力
をお持ちじゃ。クレイシ王子をお救いできるのは、お身
さまのみじゃろう。だがそれゆえ、お身さまは、お身さ
ま自身を大切にせねばなりませんぞ」
すると魔法使いは白い頬にかすかな笑みを浮かべた。
「心配いらぬ。わたしには見えるのだ、代々の魔法使い
おくが
が見てきたように――緑重なるコール山の奥処に、新雪
のごとく白き一角獣の歩むさまが。
わたしはそこへ行き、救いを求める。空手では帰らぬ。
もしあの一角獣が森の王でなく、神ならぬものであった
としても」
彼はじっと眼下に目を注ぎ、またしばし口をつぐんだ。
城門のそばで、敵との小ぜりあいがつづいている。砂煙
が風に流れ、馬のいななきが切れぎれにこだまする。 |