SCENE 1
二枚のパネルがかかっていた。同じ女の写真。
一枚は灰色がかった紫の単色プリントのファッション
・フォトで、輪郭線のきわだったミリタリー調の服を、
くすんだカラーと意図的なピンぼけで和らげてある。画
面の真上からだけ一条の光がさし、背景には切れぎれの
図柄の三角形が散っている。女の顔は斜めに後ろを振り
返っていて、喉もとに濃い影が落ちていた。短髪で、色
は濃いめ。目の色までは分からない。ぴったりしたブー
ツで足をふんばって立っている。
もう一枚の写真は、やはり単色刷りだが、波打つよう
にグラデーションがかかっている。これは鮮烈な真夏の
海辺だった。
この二枚が、バーゼルにとっていつも眺めることので
きる母親の姿だった。プラスチックのパネルフレームに
は小さく日付がサインしてあった。
彼の父親は写真と絵とでパネル作りや壁面装飾の仕事
をしていたが、その名残はもはやこの二枚のパネルだけ
だった。かすかに、大きな真四角の仕事場で壁紙を染め
たり、訳の分からない柄をかきなぐったりしている男の
後ろ姿を昔見た覚えがあるような気もしたが、今のバー
ゼルにとっては、父親といえば月に二、三度夜中か明け
方にやって来ては、すぐまたどこかへ消えてしまうだけ
の存在だった。
ロックをあけて入って来たバーゼルは帽子を投げ出し、
シーツがぐちゃぐちゃになったままの寝台に上がりこん
だ。よごれた蛍光色の初等学校の鞄からつかみ出したジャ
ンク・フードと飲み物をモグモグ、ごくごくやりながら
靴をぬぐ。
カーテンを引いたままの部屋は薄暗い。その中で壁の
パネルはいっそう黒っぽく、見にくかったが、ベッドに
座ると自然にそっちが見えるような位置関係だ。バーゼ
ルはパネルに目をやりながら食べた。ベッドはダブルで
彼には広すぎた。非常にシンプルなつくりで、背もたれ
にライトと時計がついているきりだ。そこには着がえが
何着も重なってかかっていた。
時計は日なかの一時を示していたが、彼は食べ終える
とそのまま海のように広いベッドにもぐりこんで、やが
て寝入ってしまった。
部屋の中はことりともせず、死んだような静けさが沈
澱していた。広くはないが、いくつか埃まみれの家具が
ある他、殺風景この上ない。唯一の飾り物が例のパネル
だ。テーブルと三つの椅子は、大波がひいた後の浜辺の
漂流物のように壁ぎわに押しつけられ、その上にプラス
チックの花瓶や灰皿、立体映像の出る置き時計、小型ス
ピーカなどが積み重なっている。奥のキッチンの調理器
具は何年も使われたことがなく、冷蔵庫と水道とレンジ
だけがまだ機能していた。手前には組立式のベビーベッ
ドが塗装も色あせてばらされ、大きなディスプレイボー
ドの台に使われている。その周囲にだけ数枚のAVソフ
トや新しい雑誌が散らかっていた。
何の物音もせず、カーテンの隙間から忍び入ってくる
春の陽の他に光もなかった。眠っているバーゼルの息使
いだけが部屋の空気を見えないほどわずかずつ動かして
いる。パネルの女は伏し目がちに振り返り、或いは挑発
的に正面を見据えていたが動かず、凍ったようだった。
昔ふうのミリタリー、断片的な画面構成。昔ふうの短髪
に硬いブーツ。昔ふうの、すっきりしたビーチのヌード
姿。
春の日の真昼に、静寂に包まれてバーゼルはぐっすり
眠っていた。 |