SCENE 9
ナジャスたちが騒ぎたて、エリーや店の男たちと入り
乱れたスキに、バーゼルとマーヴィンはすばやく左手の
カーテンの裾をくぐり、向こう側へ抜けた。そこにはテ
ーブルと椅子が幾つかあったがまだ誰もおらず、頭上の
灯りも消えている。
「ここには来てねえ」
バーゼルが見回し、臭いをかぐように周囲の気配をさぐ
ってつぶやいた。
「張られてるって気づいて、駐車場へ引っ返したんだ」
とマーヴィン。バーゼルはうなずいてから、
「だけどエスカレータはあっち側だぜ」
とささやいた。
二人は目くばせを交わして無言で次の行動を決めた。
そろって身をかがめ、中腰でカウンターの裏を走り抜け
る。さっきそのあたりに見えた二人の男はナジャスたち
を追って行ったので、カウンターには誰もいなかった。
端で止まって右側のフロアを覗くと、海底のような青い
灯りの中、時折浮かび上がる立体映像は深海魚のよう。
テーブルの上のグラスや氷のたてる硬質な音と、低く交
わされる暗号めいたやわらかな話し声がまじりあって、
ふと眠りに誘われるほど、奇妙に心地よい。
バーゼルが瞬間的な眠けにつかまりそうになった時、
すぐ前をエリーと同じピエロ姿のボーイが、盆を持って
通り過ぎた。我に返ったバーゼルは、隣のマーヴィンを
ふり向き、部屋の向こうの隅にある暗い色の自動ドアを
小さく指さした。
「つっきって行っちまおう」
マーヴィンがささやいた。二人は低い姿勢のまま、サッ
と前にとびだした。
すぐに数人が気づいた。
「オイ、まだ居るじゃねェか」
誰かが言った。二人はドアにたどりつき、向こうへころ
げこんだ。
そこは地下駐車場へ通じるエスカレータの乗り口で、
マーヴィンが先に立って駆け下りた。バーゼルも二、三
段とばしで続く。二人が下へ着いた時、上のドアがあい
てピエロ姿のボーイの上半身が覗いた。二人からはボー
イのシルエットが見えるが、多分こちらは暗くてよく見
えないはずだ。
バーゼルとマーヴィンは二手に分かれ、停めてあるキャ
リーカーの間をすり抜けて捜した。オレンジ色のランプ
がいくつか天井と足元についているが、光はごく弱い。
カビ臭い静寂の中、ボーイがエスカレータを下りようと
する気配がした。
「どこだよ!」
バーゼルがささやき声で叫び、耳を澄ました。
遠くのゆるいスロープの上から物音がちらっと聞こえ
た。ハンドガンの弾ける音。
「外のナジャスたちだ」
ぐるりと回ってバーゼルのところへ近づいてきたマーヴィ
ンが、ホッとしたように言う。スロープは車の出入り口
に通じていて、そこを見張るヒッターズの三下をナジャ
スたちがおびき出してくれている。
ピエロのボーイもスロープの方へ気を取られ、視線を
そっちへやったその時に、バーゼルの視界でむくりと動
いた影があった。
「見つけた」
バーゼルはほっとした声でマーヴィンにささやいた。手
招きすると影は這うようにキャリーカーの間をぬってや
って来た。
それは、無精ひげを生やし、汚れたグレイのコートを
ひきずったカーディング・パイムだった。ミイラのよう
にテーピングした両のこぶしを、ささげ持つように体の
前に揃えていたが、手のひらのくぼみから手首を通って
コートの袖の中へと流れた血の跡が、黒い細い線になっ
ているのが見えた。
疲れているのかふらつきながら、だが一瞬でそばに来
た彼は、かすれた声で、
「上は」
と訊いた。
「ナジャスたちが追っぱらってる」
バーゼルは袖の上から父親の腕をつかんでひっぱった。
「早く!」
ボーイが下へ顔を戻したのでマーヴィンが言った。同時
に彼はわざとボーイの見ているあたりへ走り、その隙に
バーゼルは父親をぐいぐいひっぱってスロープへたどり
着き、のぼり始めた。
しかしボーイはバーゼルたちに気づき、ローカルフォ
ンを口に近づけた。とっさにバーゼルはハンドガンを抜
くとボーイの足元へ撃ったが、相手が動じないので本気
のふりをして、スロープをダッと走り戻ると伸ばした両
手でしっかり構え、ボーイの顔にはりついて見えるロー
カルフォンを狙った。
銃声と同時にボーイはひらりと身をかわし、ドアの向
こうへとびこんで消えた。
「行こう!」
マーヴィンが走ってきた。バーゼルもハンドガンを持っ
たまま再びスロープを上り、壁際で待っていた父親の背
中を押して、38丁目の公共ガレージの奥に出た。湿気と
カビのにおいの中を走り抜け、さびれた路地に出る。そ
びえ立つ建物の向こうに明るい電飾の照り返しが夜空を
またたかせているが、こちら側は暗かった。
「どこへ?」
カーディングが低く尋ねた。相変わらず両手で血をにぎ
りしめ、前にかかげている。
「とりあえず“拾い場”」
マーヴィンが答えた。
「何?」
「前、ホロヴィジョン・ジムのあったビルさ。去年スク
ラップ・ヤードになっただろ」
バーゼルが説明した。
彼らは路地を抜け、人通りのある道を横切った。しば
らく行くと古ぼけたキャリーがスッと横に停まり、声が
した。
「ナイス・タイミングだろ。乗れ」
それはダフとコーニーだった。
「ちょうどダフが追っかけてきてくれたんだ」
「だってよ、マーヴィンにお前らの居所教えたらすっと
んでったろ。こりゃナンかあると思ってうろついてみた
のさ」
「サンクス、ダフィー。じゃどっかいいとこ…」
「俺ンち」
「いいの?」
「モチ。あとからナジャスたちも拾い集めてきてやるよ」
「みんな拾い場で拾える」
「わかった」
バーゼルとマーヴィンがカーディングを車に押し入れ
てから自分たちも乗りこむと、シートの隅でコーニーの
黒猫がニャアオと鳴いた。 |