安らぎの港町  Port Kab=Mindar‘the HAVEN’

ポート・カブミンダー・ストーリー

SCENE 11
 ほの暗い部屋の片隅の椅子に、カーディングは背を丸

めて座っていた。ラタン編みの古風なアーム・チェアで、

彼が身動きするたびにかすかにきしむ。周囲には大小さ

まざま、季節感もちぐはぐな家具や絵や置物、AV機器

などがおびただしく並んでいる。エアコンが静かに作動

していた。ここはダフの店の地下カーゴだった。

 盗品に囲まれて、カーディングの周りには先ほどの少

年たちが思い思いに座ったり寝そべったりしている。ダ

フ自身も、ビニールカバーをかけたソファに寝ころんで、

クッションを一つ、カーディングの方へ放ってやりなが

ら、アクビをしていた。

 カーディングは食事とドライジン、二、三服かいだ

“元気づけの薬”のおかげで、ずいぶん回復していた。

頬に生気が戻り、両手のテープも新しくなっている。少
                      トリガーマン
年たちは彼が今朝がた、ヒッターズが差し向けた殺し屋

に両手を撃たれたいきさつを、一通り聞いたところだっ

た。

 フォールン一帯に並びなき陰の権勢を誇るアヴェニュ

ー・ヒッターズと事を構えているカーディングは、一匹

狼のような存在として少年たちの興味の的だった。たい

して腕も立たず、本職のギャングでもない彼は、英雄に
            アーティスト
はなり得なかったが、その芸術家崩れの異質さ、よそ者

くささが、少年たちには魅力なのだった。

 「にしても、あいつら腕落ちてるね」

と、ダフがアクビの後に言った。

「カードの手をぶっつぶすのに、わざわざ新手を、ホン

トに雇ったとしたらさ」

 「ありゃヒッターズじゃない。だから油断した。ヒッ

ターズなら匂いでわかるんだがな」

カーディングは白いテープにくるまれた両手をクッショ

ンに乗せ、鑑賞するように眺めながらつぶやいた。



 「メリーゾーンのこと話してくれよ」

唐突にサフリが言った。籐椅子の脚にもたれてスナック

菓子の袋をガサガサ覗きこんでいる。

「昔の話でもいいからさ」

と、大きなスピーカーボックスの間で猫と戯れながらコ

ーニー。彼はいつもメリーゾーンの話を聞きたがる。あ

との者たちは耳だけ傾けた。

 ガラステーブルの上でハンバーガーを食べているのが

ミハイル、ドライジンをジュースで割って味見している

のがマーヴィンだった。バーゼルは人造大理石の何かオ

ブジェにもたれて、やはりハンバーガーをかじりながら

くつろいでいた。彼は知りあいの他の大人と父親を区別

しなかったし、父親の方も息子をとりたてて特別視しな

かった。

 カーディングは始めあまり気の入らない様子で、八十
    ボタニカリウム
階だての植物園の話や、シミュレーション・シアターの

人気番組、ホロヴィジョン幽霊屋敷に出ている美人女優、

ダンステリアに来る有名人、などの話を取りとめなくしゃ
          フェアリーテール
べった。それは一種のおとぎ話だ。毎回、同じ話。たい

して目新しくもない昔のニュース。カーディングは単な
 ストーリーテラー
る語り部だった。

 もしかしたらサフリとミハイルは信じているかもしれ

ないと、バーゼルは思っている。だが他の連中は現実を

知っている。しかしそれでもコーニーは目を輝かせ憧れ

の表情を浮かべて聞いているし、マーヴィンは知ったか

ぶりな口調で話の先回りをする。少し離れた大きな書斎

机に腰かけているナジャスは、例のさめた顔つきでカー

ディングの“元気薬”を一服もらってかいでいるが、黙

って話を聞き流している。そのもう少し奥にルーカス・

コオが天使のような笑顔で半分うとうとしながら座って

いた。ルーカスはメリーゾーンで生活しているのに、や

っぱりカーディングの語るフェアリーテールを楽しんで

おとなしく聞く。

 カーディングの話題はみな、彼が住んでいた頃のメリ

ーゾーンだった。彼が若い売れっ子のペイントアーティ

ストで、モデルのフィービと小粋な恋遊びをした頃の。

 「俺もそのうち」

コーニーは猫に向かって言った。カーディングは老人の

ように柔和な笑みを浮かべて、傷ついた手で無意識に籐

の編み目をなぞっている。

「そのうちメリーゾーンへ出て行く、か。…いつだって

そういうヤツがいる。その後、戻って来るヤツも、来な

いヤツも。女の子もそうだな。みんな一度は出て行こう

と考える」

 「ティキも出て行ったもんな」

先ほどの、タチアナ・デュウでのことを思い出したのか、

ナジャスがふと言った。

「タチアナ・サンバーグもそうだ。フォールンからメリ

ーゾーンへ出て売り出した」

カーディングはなおも籐をいじりながら言った。

「俺も行くぜ、絶対だ」

コーニーが欠けた歯をむき出して、だが声は静かに言っ

た。

「ほんと? 俺も行きたいなァ」

ミハイルがカミソリの鋭さで勢いこんだ。

「馬鹿だな、そんなにいいとこじゃねぇぞ」

遠くからダフが言った。

「ダフィーなんて一生フォールンに埋もれてるくせに」

ミハイルはやり返した。

 メリーゾーンを少しでも知っているはずのルーカスは、

横目で二人のやりとりをちらりと見やってアクビを一つ

した。

 「戻れることを考えてるから男はダメだ。女の方が成

功するわけさ、戻らん限りは。女は戻っちゃおしまいだ」

カーディングが言った。

「それ、フィービのこと?」

ナジャスが低い声で爆弾発言をした。ルーカスはアクビ

をやめてナジャスの方へ少しにじり寄ったが、何も言わ

なかった。

「フィービも、他の戻った女もさ。戻らない限り、可能

性は無限大。虹色のタチアナ・サンバーグ」

考え深げにカーディングが答えた。今ではフィービさえ

も他の女と区別していない彼は、男女の別にかかわりな

く、もはやどんな可能性からも無縁に見えた。彼にある

のは昔の恋、昔の幸せ、昔のメリーゾーンの輝きだけだ

った。

 「ティキもスターになるか?」

またナジャスが尋ねた。大人びて、奇妙に老けた口調だ

った。

「ティキに惚れていたのかお前?」

とカーディング。いたわるようにやんわりと、だが先ほ

どのお返しといった感じで。

 少年たちはかすかな好奇心を持って、無言でそっとナ

ジャスの方を盗み見た。

 ティキはナジャスより一つ年上だった。が、当時から

大人びていたナジャスは、女王に仕える老衛兵のように

見えなくもなかった、とバーゼルは思い出す。

「ティキはリーダーだったからな」

ナジャスは表立っては何の感慨も見せずにさらりとそう

答えた。

「俺、ティキのいる店知ってる」

ルーカスが小声でぽつりと言って、横からナジャスを見

る。だがナジャスは興味を覚えぬらしく、
                フォールン
「エリーにでも教えてやりな。俺はここでいいんだ」

 「そうとも、おのが在所を知りて動くべからず。俺も

ここの人間だったらなぁ」

カーディングが言った。



 「タチアナの話してよ」

サフリが言った。話が見えなくなって退屈したのだ。カ

ーディングが笑って再び色あせたフェアリーテールに立

ち戻ろうとした時、ダフの腕でウォッチフォンが光った。

赤く、短く点滅する。

 予期していたようにダフは起きて、奥の暗がりに消え

た。一同はシンと体を硬くする。早くもカーディングは

緊張の皺を額に刻んで、そっと音もなく銃を取り出す。

そばにいたサフリが無言で目を丸くした。組み立て式の

レーザー・ショット、フォールンで取引される密輸品の

中でもピカ一の光線銃だ。

 ダフはすぐ戻ってきた。慌てず、分かっていた宣告を

うけたような口調で、

「上の店にやつら、来た。行った方がいい、カード」

 カーディングは立ち上がり、前に掲げた両手に目を落

とした。

「やっぱ何かやばい物が、入ってるか」

「多分。そのためにプロを雇ったんだろ。そっから出て

る変調パルスを止めるには、…。も一回撃ち抜くと、多

分、手まるごとドカンって仕掛けだぜ?」

 カーディングはダフにちょっと笑いかけ、顎を引いて

つぶやいた、

「お前には頼まんさ。やつらを遠くへ引っ張ってくよ」

「すまんな」

役に立てなくて、という意味なのか、ダフは笑わずそう

言った。

 その間にコーニーが猫を肩に立ち上がり、勝手知った

る様子で旧型スピーカーセットの向こうの、アンティー

クな彫り物のあるスライド式書架を動かした。ダフはが

らくたを迂回しながら近づき、隠されたセンサーに手の

ひらをあてがう。本棚の背の羽目板は、そのまま出入り

口になっている。ダフの祖父が昔つくりあげたからくり

だった。サフリとミハイルは興奮をおさえきれず、口を

半開きにして見ている。カーディングは銃を左手に、そ

こへ行った。踏みこむ前に、ちらっとふり返る。

「じゃな」

いかつい、骨ばった顔は暗く、表情は見えない。

「気をつけて」

と、老けた声でナジャス。言ったとたん、カーディング

は手を壁にぶつけてビクリとする。

「俺、行くよ。銃撃てねぇだろ、その手じゃ」

バーゼルは見かねて父親の後に続いた。

 「お前一人じゃどうせダメだ。俺も行こう」

突然、ナジャスが気を変えて前へ進んだ。

「遠慮しとく」

ルーカスは立ったまま言った。ナジャスはふり向いてう

なずいた。ルーカスはヒッターズの一員だ。カーディン

グとの関係も個人的には好いが、ヒッターズのメンバー、

そしてコオの息子としては微妙だった。これ以上の深入

りは禁物、と、ルーカス自身はもちろん、他の者も分か

っているのだ。

 コーニーは黒猫をダフの手に預けてナジャスに続いた。

ルーカスはミハイルをつかまえ、ダフはサフリを猫と一

緒に抱きかかえた。

「お前たちはここまでだ」

「何でさ? 俺も行…」

言いかけたミハイルの甲高い声は、ルーカスの手でふさ

がれた。

「ダメだ」

ダフが厳しいとも思える声で言った。ミハイルはハッと

急に怖くなったように体を縮めた。

 「マーヴィン、お前もやめとけ」

もう姿は見えないが、暗がりの中からナジャスの声がし

た。マーヴィンはその声に立ち止まったが、ひこうとも

しなかった。

「親ンとこへ帰れ。その方がいい」

もう一度ナジャスの声がし、それから隠しドアが閉まっ

た。マーヴィンは立ったまま、しばらくその羽目板を見

つめていたが、

「さ、上行こう」

ルーカスの声に促され、くるりと向きを変えて彼の後に

続いた。ルーカスはリフトの方へ行き、小さい二人の男

の子とコーニーの黒猫を受け取ったマーヴィンが続いた。

ダフはその辺りを片づけるために残った。

 リフトがゴオンとむせび泣くような音を立てて昇り始

めると、サフリは落ちつきなくルーカスを見上げた。

「カードは大丈夫だよな?」

 ルーカスは答えず、リフトのドアに目をやったままだ。

その表情からは何も読みとれない。

 黒猫さえ身を硬くし、鳴き声一つ立てなかった。
by Hanna
 

SCENE 12
 学校にはすっかり遅刻の時刻だった。バーゼルはゲー

ム雑誌をかばんに入れ、ディスプレイボード付近の床か

ら(母親のものだった)ウォッチフォン、万能ペン、ショ

ッキング・シャワーというアメ玉、それに最近ダフにも
        スウィッチブレイド
らったお古の飛び出しナイフなどを拾い集め、ドアをロ

ックして出かけた。ポケットはそれらのものでいっぱい

だった。

 寒気が景色を透明にしていた。冷たい風に吹きまくら

れた路地は、すれっからしの少女のようにすっかり開き

直り、ヤケになって紙くずやゴミをはき散らしていた。

 ウィミング・クロスのでこぼこのアスファルトにたま

った水は、ガチガチに凍っていた。バーゼルが車やトラ

ックをかわして渡っていくと、前を歩く同様の人影が目

に入った。すべる道路をダッシュして追いつく。

「ヘイ、マーヴィン」

「よッ来たか」

「アステロイドQXのソフト、持ってきた?」

「うん、三日間だぜ」
 マミイ
「母親に叱られない?」

「平気さ。それよりダフィーにもらったナイフ見せて」

 二人はたっぷり道草をしながら学校へ向かった。ふざ

け回ったので、門の前まで来た時は二人とも頬は火のよ

うに熱く、喉は笛のように白い風を鳴らしていた。

 門は閉まっていた。けれど彼らと同じように遅刻して

きた者も二人、三人といて、門についているインタフォ

ンに名前や番号を言っては通してもらっていた。

 マーヴィンが先に立って、

「マーヴィン・グラウン、1年93」

 すると門の片端にあるくぐり戸がスッと開いて、彼は

そこをくぐった。続いて、

「バーゼル・パイム、1年21」

と言って、ドアが開いた、ちょうどその瞬間、

「バーゼル!!」

 すでに中にいたマーヴィンがふり向いて大声をあげた。

同時に、バーゼルは後ろからいきなり誰かにギュッとは

がいじめにされると、口に布を押しつけられ、足が宙に

浮いた。

 じたばたしながら、眠りこむ時のように物音と意識が

すうっとフェイドアウトしていったが、その直前、くぐ

り戸の向こうで顔をひきゆがめたマーヴィンが、

「バーゼル! 人殺し! 誘拐だ!!」

金切り声をあげているのがようやく分かった。



 布にしみこませてあったのは少量の誘眠剤らしく、布

がはずされると数秒で意識が戻った。閉めきってうす暗

いコンテナか何かの内部で、二つの人影が彼の前にいた。

さらに誰かが彼の襟首をつかんで乱暴にゆすぶっている。

バーゼルは視界が揺れて、目が回りそうだった。

「坊主、カーディングの連絡先は。知ってるだろ」

 その声に聞き覚えはなかったが、バーゼルは直感的に、

あのマルヴァ・コオにつき従っていたうちの一人だと悟

った。背筋が寒くなり、暴れようとして、彼は、背中に

回された両手がテープで巻かれて動かないのに気づいた。

 前の男が彼の頬を殴った。後ろから首を固定されてい

るので、かわしようがない。バーゼルは父親の言葉を思

い出した。「危ない時は自分で逃げろ」。なるほど、こ

ういうことだったのか。だが、もう遅いようだった。

「やつに話があンだよ。お前、呼びだしてくれよ、な?」

 ちょっとの間、ゆすられるのがやんだので、バーゼル

には相手の顔が真近に見えた。妙に色白の、エラの張っ

た顔に、冷たく小さい目。怒っているのではない、楽し

んでいる目だった。

 その間に、三人目の男はバーゼルのポケットの中味を

次々に出していった。予想通り、ウォッチフォンを見つ

けて取り上げる。

「パスワードは?」

 近づいてきた三人目めがけて、バーゼルはあいている

足を蹴り上げてみたが、また殴られただけだった。

 三人目はバーゼルを通り過ぎ、何か台の上の端末から

コードを引き出してウォッチフォンにつないだ。バーゼ

ルはそちらを見たかったが、また首をギュッとつかみ直

されたので動けなかった。

 ややあって端末から小さなエラー音が続けざまにした。

三人目が舌打ちをしている。

「“トカゲのシッポ”装備してやがった。パスワード周

辺をつっつくとブリッジを自分で切っちまう」

「ウォッチフォンよりお前の方が中味を出しやすい。さ

あ言いなパスワード」

 後ろの男はバーゼルを再びゆすぶった。

 「待て待て、乱暴はいけねえ」

色白の男はニヤリと口角を上げると、どこからかイオン

水の容器に似たプラスチックボトルを取り出した。透き

通った液体が入っていて、赤いテープ付きの見慣れぬキャ

ップがはまっている。
        
「これ見な。秘密警察だの軍だので使う薬の新製品、今、
     あつかっ
俺たちが密輸してるんだ。ちょっぴり実験したいと思っ

てたところなのさ」

 こいつはそれで楽しそうな目をしていやがったんだ、

とバーゼルは思った。その妙に薄っぺらな猫なで声に、

殴られるより数倍ぞっとした。

 男の手に顎をつかまれると、それは冷たいザラリとし

た感触だった。手に力が入ると、くいしばっていた口が

何かのフタのようにポカッと開いて、そこへ水が――水

にしか見えない透明で冷たいものが流しこまれた。口を

閉められ、ぐっと顎を上げられると液体は簡単に喉を通

過してしまう。

 男は次に小さなケースから錠剤を数粒出して、飲ませ

ようとした。バーゼルが抵抗すると、後ろの男はぎゅっ

と体を締めつけ、白い男はニヤリと笑った。

「これは飲んだ方が身のためだぜ、坊主。じゃねぇと胃

がひっくり返るぞ」

 結局それも飲まされた頃には、バーゼルの意識はほぐ

される綿くずのようにばらばらになり始めた。目の前に

「スペースファイトシグマ」のレーザービームが何本も

走って、じいんと熱い湯につかった時のようなしびれが

広がる。恐怖も不快感も霧のように消えて、ホッと息を

ついた。視界は灰色にかすみ、耳もすうっと遠くなる。

 が、その心地よい世界を切り裂くように、ピピピピピ

…という何かのコールサインが聞こえてきた。

 ちぇ、うるさいな、と彼は思った。その音はひどく耳

障りだったが、やがてそれも消えたようだった。

 バーゼルはどこだか分からぬ薄闇にふわりと浮いてい

る気分になって――、頭の中にオレンジの大輪の花が咲

き、少し笑顔にさえなった。
  (つづく)
by Hanna
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