SCENE 13
バーゼルたちは、こもった空気がよどむ薄闇から突然、
地下街のメンテナンス・ルームに出た。出口の両開きド
アは、クリーン・ロボット待機室の壁にはめこんであり、
内側からしか開かない。ダフの一家が荷物の搬入に使っ
ているのだが、顧客にはヒッターズのメンバーもいるか
ら、
やば みち
「危いな。有名すぎるぜ、この通路はよ」
コーニーがつぶやいて、欠けた歯をなめた。
無人のメンテナンス・ルームは一見、安全な感じがし
た。だが、換気ルーバーの隙間からそっと外の地下街を
覗いたナジャスが、かすかに舌打ちをした。人待ちでも
しているように、行きつ戻りつ見回す男が二人いる。ヒ
ッターズの三下だった。
仕方ない。ナジャスは左手の指を三本立てた。“強行
突破”または“かかれ”の合図である。
皆はひとかたまりになって飛びだした。人の悲鳴がし
た。銃声も。
地下街の人の流れにつっこむと、全員散開した。バー
ゼルだけは父親からあまり離れず走った。けれど真新し
いテープで巻いた両手を、重砲のように胸の前におした
てて進むカーディングの姿は目立ちすぎた。おまけに彼
はいつもにまして動きが冴えない。
命がかかってるってのに、もっとしっかり走れよ、以
前にもそう言ったことがある。けれど父親はその時むっ
とした顔で、
「そう何年もしっかり走ってばっかいられるか。もう、
いいって」
と答えたのだ。
カーディングは地上に通じる長いエスカレーターに飛
び乗った。手すりに背を預けて肩でゼイゼイ息をついて
いる。周りの人間が彼を見ているが、不作法なほどでは
ない。ヒッターズやら何やら、抗争・事件はよくあるこ
とで、いちいち驚く者はフォールンにはいない。
バーゼルはエスカレーター横のスロープを使った。カ
ーディングより先に地上に出てサッと辺りを見る。
まずい。ヒッターズのお偉方らしい男が居た。食事か
買い物だろうか、若い女としゃべりながら、きらめくファ
ッションビルの自動ドアから出てきたところだ。立ち止
まってふところからシガーを出しているが、カーディン
グを見つけたら部下に連絡するだろう。何しろ、何年も
ヒッターズから逃げ回りながらいまだにマルヴァ・コオ
の生体認識プレートを(今朝までは)握っていたカーディ
ングは、有名人だったのだ。
ヒッターズの男がエスカレーターの方を向きそうにな
ったので、バーゼルは慌ててそちらへ近づくと、連れの
女にわざとぶつかって、追い抜きざまハンドバッグをひ
ったくる真似をした。
女はアッと小さな悲鳴をあげてバッグを抱きしめた。
ヒッターズの男がふり向く。だいぶ年配の古ダヌキで、
表情一つ変えず、
「おい坊主、気をつけろ」
バーゼルは仕上げにしかめっ面の一つもしてやろうと
ふり返った。父親がちゃんと逃げたかどうかも、見なく
ては。ところが、バッグを抱いた女を正面から見て、ビ
ックリした。同時に女も彼を認めてパアッと笑顔になっ
た。
「バーゼル! バーゼルじゃないのォ。久しぶり、大き
くなってる」
すっかり髪型を変えて、えらくめかしこんだスージだ
った。
バーゼルは知らん顔で行ってしまおうとしたが、一瞬
迷っているうちにスージがとんできて肩に手を乗せてい
た。
「何狙ってたの? このバッグ? ステキな子ねェ、ほ
んと」
彼女はバーゼルの頬を小突いた。彼はそれをそっと払う
と、
「あれ誰?」
少し離れた所でシガーの着火帯をちぎっている男に目を
やって、小声で尋ねた。
「ヴィクトールよ、海岸の方の。私、今、チャスティア
のへんに住んでンの。ダフィーは元気?」
スージは二年ほど前に別れたダフのことを、その直後
は会うたびによく尋ねたものだった。バーゼルがこのフ
レーズを聞くのは久しぶりで、なつかしい気がした。
「ああ元気」
ダフはもう彼女のことなど忘れたろうな、と思いなが
らバーゼルは答えた。遠く、カーディングのよれよれの
グレイのコートが人と闇に紛れて消えたのを、目のすみ
で確かめた。
ヒッターズの男が近づいてきた。顔は知っていたが、
今日初めて名前と一致した。郊外のチャスティア・ビー
チを仕切っていると噂に聞く、ヴィクトール・トアーズ
に違いない。
「ヴィック、ネームスティック一つちょうだい。この子、
私の知りあい。住所教えたいのよ」
スージが言った。トアーズの連れとはスージも出世だな、
とバーゼルは思った。
トアーズはにこやかともいえる表情でバーゼルを見た。
「親父さんはまだ生きてるようだな。名前は何てった?」
ではカーディングが居るのを見ていたのだ、とバーゼ
ルは冷や汗をかいた。自分がカーディングの息子だとい
うことも分かっているらしい。
「バーゼルよ。でも、この子は関係ないのよ、ヒッター
ズとは」
「関係なくはねェ。ヒッターズには仲間もいりゃ敵もい
る」
バーゼルはトアーズを睨みつけて言った。
ヤロ
「度胸のいい坊主だな。最近の男ッ子はませてる。そう、
ヒッターズは巨大組織だよ。一度ビーチに遊びに来なさ
い」
トアーズとの会見はそれで終わりだった。バーゼルは
彼のネームスティックをスージから受け取り、礼儀上、
目の前で自分のウォッチフォンにさしこんで、データが
ちゃんとディスプレイに出るのを確かめたあと、挨拶な
しに身を翻した。横丁に駆けこみ、少し違う方向へ進ん
でから大回りして父親を捜しに行った。
見つからないので、ナジャスたちとの集合場所に決め
てあった路地へ行った。コーニーは居たが、ナジャスと
父親は一時間待っても現れない。
「なンかあったな」
コーニーがいつになくシビアな大人の声で言った。
やば
「ダフィーんとこはヒッターズがまだ居たら危い。マー
ヴィンちへ電話して応援頼もうか」
「さっきチャスティア・ビーチのトアーズに会った」
とバーゼルが言うと、コーニーは顔色を変えた。
「何、どこで? バッカだなお前、トアーズみたいなン
が一人でぶらついてるわけねェだろ。きっと手下が周り
を巻いてたに決まってら。カーディングはそいつらに追
われてるぜ、きっと!」
コーニーが自分の父親であるかのようにカーディング
の心配をすることが、バーゼルには不思議だった。彼も
一応、父親を助けようとはしているものの、それほどせ
っぱつまった気持ちにはなれなかった。「もう、いいっ
て」と言いたくなるのだ。
「ちぇッ、どうしよか、まったく。マーヴィンくらいじゃ
役に立たねェや。ひでえ晩だぜ、バーゼル」
コーニーはイライラとスウィッチブレイドの刃を出した
り入れたりした。
「やっぱダフんとこだ」
バーゼルはそう言って、ウォッチフォンの発信ボタンを
押した。
気がつかぬうちに真夜中が近づき、冷え冷えした街に
は霧が出始めていた。港やビーチの方から来る海霧であ
る。バーゼルはぶるっと身震いした。ダフの店を呼び出
しながら彼はまた、ダフはスージのことを覚えているだ
ろうかと思った。スージも、行き先がリゾートビーチと
はいえ、フォールンのキタナイ一角から抜け出したのだ。
スージがいつか戻ってくることがあるだろうか、とバー
ゼルはカラのネームスティックを投げ捨てながら考えた。 |