安らぎの港町  Port Kab=Mindar‘the HAVEN’

ポート・カブミンダー・ストーリー

SCENE 15
 2秒コールしただけでダフが出た。

「今どこ? カードは?」

せいた調子だった。

「ヒッターズの連中は?」

バーゼルは問い返した。

「もういねぇ。さっき一人に電話があって、みんな行っ

ちまった。その電話てのが何と、…」

「トアーズ?」

「おッ、知ってンのか? じゃ、お前だったのか? 

『坊やは見たがね』ってヤツ言ってたらしい。誰かてっ

きり捕まったかと…」

「トアーズと出くわしたとこで親父とはぐれた。店に来

たやつらどこへ行った?」

「多分、港の方だ。詳しくは分からねぇ。ルーカスはす

ぐ帰っちまったし、俺、待ってたんだよ、お前たちの連

絡。車、出そうか? 今どこ?」

 ダフは商売柄、ヒッターズの機嫌を損ねるわけにいか

ないので、カーディングを表立って援助できないのだっ

た。その埋め合わせに迎えに行こうかと言う。こんな晩

は店を空けたくないだろうに、まったく気のいいヤツ、

とバーゼルは思った。

「ナジャスも分からねえんだ。連絡ない?」

 彼は訊いた。夕方や夜間、昼間でも“活動中”の時は、

仲間に直接コールしないのが鉄則になっている。追われ

たり隠れたり取りこみ中の時には、ウォッチフォンのコ

ールサインの音や光が命取りになることがあるからだ。

「なァに? ナジャスも? まさかヤバイことになって

ねぇだろな。コーニーは無事か?」

「うん。今からハーヴァー・ストリートの方、行ってみ

るよ。大丈夫、それほど遠かない」

「わりィな、じゃあと10分だけ店にいてから出る。まだ

ヒッターズの誰かがひょっこり来やしねぇか心配なんだ。

お袋がいるからな」

 ダフはまた謝るような声になり、それから一呼吸置い

て、バーゼルが切ろうとしかけた時、言った、

「――なぁバーゼル、深入りしすぎねぇ方がいいぜ」

 ダフもやけに心配性だな、とバーゼルは思った。

「分かった」

 ウォッチフォンが隠れるほど上着の袖を引き下げたバ

ーゼルは、寒くて、少し気分が悪かった。どうもイヤな

予感がする。だいいち疲れた。明日は学校に行く気には

なれないと思った。

 「おい何て?」

数歩離れて通りを見張っていたコーニーがふり返って訊

いた。その不安げな声に、バーゼルはいっそう不快さを

覚えて目をきゅっと細めた。夜風がヒュウっと重い霧を

からだに押しつけてきた。アスファルトがしっとり湿り

始めている。

「トアーズの部下に追っかけられてるらしい、親父のヤ

ツ」

彼は口をすぼめてそう答えた。



「どっちへ行くんだ」

 霧のやって来る方へゆるいスロープを下りだした彼に、

コーニーがちょっととがめるように声をかけてきた。灰

色の建物群が今にも溶け出しそうに闇に立ち並んでいた。

潮の匂いが霧にくるまれてかすかに届き、バーゼルの鼻

をつんとさせた。昼間はめったに気づかない匂いだ。ア

スファルトさえ、きめの細かいやわらかな砂でできてい

るような気がする。

 ダフにスージのこと言うのを忘れた、とバーゼルは思

い出した。スージは別人のようにきれいになっていた…。

彼女はフォールンから脱出したと自分で思っているのだ

ろうか?

 あるいは、メリーゾーンのどこかにいるというティキ。

ルーカスは彼女と会ったりしているのか? ナジャスは

もう彼女に会おうと思わないのか、フォールンから出て

行ってしまうと?

 昔、フィービが赤ん坊を置いてフォールンから出て行

った時、マルヴァ・コオは追わなかったのか…そして…

フィービは戻ってきた、ただ、メリーゾーンの男である

カーディングと一緒に。マルヴァはフィービを取り返そ

うとした、だがフィービはフォールンには戻ってきても

マルヴァのもとへは戻らなかった…たぶん。

 母親のことは彼にはよく分からない。夢ばかり追う、

むら気な、ひとところにとどまれないフィービ・ペンク

リスト。誰のものにもなりたがらない、強気な少女。誰

もが彼女を好きだった…という、けれども。



 コーニーは不安そうに、しかし黙って並んで歩いてい

た。二人の足音はほとんどしない。角ごとに立ち止まっ

て耳を澄ませ、闇をすかしながら、それでもそこそこの

速さでどんどん港の方へ下っていった。倉庫がのっぺり

した壁を連ね、高い灯りが白い霧のカーテンを冷たく照

らしている。

 急に遠くでエンジンのやかましい音がした。それから、

霧のせいでやわらかく聞こえる銃声が、一つ、二つ、三

つ…と、花火の打ち上げ音のように響いてきた。と、コ

ーニーが、びっくりするほどの力でバーゼルの腕をつか

んだ。近づいた顔を見ると、青白い。

 二人は音の方へ走り出した。自分の武器である中古の

改造銃を出しながら、それぞれ道のあちらとこちらに分

かれて走った。

 あの新しいレーザー・ショットなら、独特のビーン、

キィーンという音がするはずだが、とバーゼルは走りな

がら考えた。その音はしないようだ。ひょっとして全然

別のゴタゴタだったら、近づかぬ方がよい。

 また銃声が前方でした。ややあって、どこからともな

く、まるで待っていたかのようにルーカス・コオのジー

ンズ・キャップが現れた。
      や
「カードが殺られた」

並んで走りながらルーカスが言った。

「言っとくが俺は何もしてないぜ、今回。ただ様子を見

に来ただけだ」

 彼の額には亜麻色の髪が散ったりなびいたりしていた。

ダウンジャケットは脱ぎ捨てたのか、奇妙なモザイク柄

のシャツ姿で走っている。

 道を渡ってコーニーが合流した。ルーカスがさっきの

言葉をくり返す。三人は前ぶれもなく倉庫街のただ中に

ある広いパーキングにとび出した。大型のトレーラーが

数台停めてあるが、真ん中は空いていて、そこに男の姿

が七、八人、何かを取り囲むようにして立っていた。物

音に彼らがふり返る。ぱっとルーカスが前に出、手を広

げた。

「バーゼルは俺の弟だ。コーニーはダフの親戚で友達だ」

きっぱりと言った。大人びて、威厳さえ感じられる声だ

ったが、終夜ライトに照らされた顔は彫像の天使のよう

に優しげだった。

 アヴェニュー・ヒッターズの男たちは、黙って彼ら三

人を見たが、動かなかった。ルーカスは男たちの輪の中

に進み出た。続いてバーゼルとコーニーも。

 輪の中央に、テープでぐるぐる巻きにした両手を胸の

前にささげたまま、カーディング・パイムが倒れていた。

 ぽつり、ぽつりと、海の匂いのする霧雨が、その赤黒

く汚れたグレイのコートに落ち始めていた。
by Hanna
 

SCENE 16
 アーモンド・オレを飲んでいるうちに、バーゼルは胃

が痛くなってきた。ルーカスは気づかずに自分のをすす

っていたが、飲み終えると初めて顔をバーゼルの方へ向

けた。そして飲みさしのカップを手に体をくの字に曲げ

ているバーゼルを見ると、

「あ、そうだ」

急に叫んだ。普段のすまし顔が崩れて、気分が悪いなが

らもバーゼルにはその表情が滑稽に見えた。
   コンフェション
「お前、自白剤飲まされたんだったろ、しばらくは腹が

ダメになるんだった。忘れてた」

 ルーカスはすぐにいつもの顔に戻り、オートスクータ

の操作パネルにある時計を覗きこんだ。

「まだ昼前だ。3時間しか経ってねえ」

 その間、バーゼルはコインマシンに寄りかかって肩で

息をした。肺は冷たい空気で痛み、その下は熱い飲み物

でじりじり胃壁が溶けそうな感じがしている。ルーカス

が物知り顔で、ヒッターズの重要商品であるコンフェショ

ンの種類についてぺらぺらしゃべるので、バーゼルはい

っそう気分が悪くなった。

 …こんなヤツに、母親の写真を見せてやるものか。

 けれどその時、自分ももう、いつもの母親を思い出せ

ないことに気がついた。母親の顔をイメージしようとす

ると、パネルの若い写真、それから冷たい病室で目を閉

じて寝ていた姿、そればかりが目に浮かんでくる。

 母親は何日前に死んだんだっけ、と彼は考えたが、胸

は冷たく、腹は熱くて、ちゃんと数えることができなか

った。



 突然、彼らのいるコインマシン・コーナーにガララ…

と軽快な音をたててとびこんできた二つのローラーボー

ドがあった。
               はらいた
「ヘイ、バーゼル、どうした。腹痛かよ?」

 ハスキーな男言葉だったが、とびおりたのは髪を肩ま

で垂らした、すらっと背の高い少女だった。サスペンダ

ーで吊ったすり切れそうなホットパンツに長靴下、大き

すぎるジャケットを着て、蒸気のような白い息。続いて

すぐ後からつっこんできた、わずかに背の低い男の子も

ボードから弾みをつけて飛びおり、片足で板を止めた。

 バーゼルはうなずいただけで、すぐには声が出なかっ

た。

 女の子は側にいたルーカスに目を移した。ルーカスは

穏やかな様子で立っている。彼女の方は走りこんできた

勢いのまま、見おろすような恰好でルーカスをじろじろ

見た。そして、

「何て名前? バーゼルにヘンな物飲ませてねェだろう

な?」

「コンフェションでやられたんだよ。今朝さ、それで…」

 ルーカスが悠長に説明しだすと、少女は素早い動作で

ぐいと彼の二の腕をつかんで詰め寄った。

「お前が飲ましたのか? どこの誰だ、スカした顔しや

がって」

 この迫力にさすがのルーカスもまいったらしい、顔を

ひきつらせてちょっともがき、彼女をふりほどいて二、

三歩さがった。

「アヴェニュー・ヒッターズのルーカス・コオ」

それでも彼はきっぱりそう名乗った。が、少女はひるん

だ様子はなかった。ルーカスより背も高く、年も上だっ

た。

「ヒッターズ? お前みたいなチビが? で、お前がバ

ーゼルに…」

「そっちも名前言いな。ヒキョウだぞ。ひとを悪者扱い

しやがって」

ルーカスはお愛想を捨てて反撃した。

「あたしはティキ」

とティキは打てば響くように答えた。

「俺はナジャス」

ついで、その時バーゼルに大丈夫かと声をかけていたナ

ジャスが振り向いて言った。

 バーゼルは相変わらず気分が悪かったし、ルーカスに

腹を立てていたが、急いで説明をしなくてはと思った。

「ティキ、ルーカスが助けてくれたんだ。今度、こっち

へ来たんだよ。俺の…俺の」

「偶然、母親が同じなんだ」

ルーカスがあとを引き取って言った。もうやわらかい表

情に戻っている。聞いてナジャスが丸い目をいっそう丸

くした。

「へえ! 親父は」

ティキは動じず尋ねた。

「親父はマルヴァ・コオ」

「ヒッターズのマルヴァ・コオ?」

と、ナジャスが訊いた。

「知ってる?」

「知ってる。おととい葬式があったんだろ」

「そ。俺には関係ない。リボフ知ってるか?」

「知らん」

「あたしも知らん」

「そか。俺はリボフの下だ。今にリボフがここらの指令

になるぜ」

 ルーカスは、バーゼルの父親がマルヴァ・コオを殺し

たことは言おうとしなかった。バーゼルもまだ誰にも言

っていなかった。

「そんで。コンフェションがどうとか言ってたな、何の

こと?」

 バーゼルは学校の門の前でつかまって、薬を飲まされ

たと話した。

「何しゃべらされたんだ?」

ティキが訊く。バーゼルが答えるより前に、ナジャスが、

「覚えてねェだろ。最近のはわかんねぇうちにしゃべら

されンだってさ」

「大丈夫、たいしていじめられてない。ほとんど眠って

ただけだよ」

ルーカスが言った。

 へえ、そうだったのかとバーゼルは初めて考えた。何

か訊かれたにしろ、父親の居所もウォッチフォンのスペ

ア・パスワードも、本当に知らないのだから答えられた

はずがない。それに、彼は思い出した。気を失う前に聞

こえたピピピピというコールサイン、あれがルーカスの

「ニセ電話」だったのだ。あの後すぐルーカスに助けら

れたのだろう。



「ヒッターズの恨み買うようなことしたのかよ?」

ティキが訊いた。が、バーゼルが答えそうにもないこと

をなかば予期していたのか、すぐ口調を変えて、

「あたしらイオンソーダ買いに来たんだ。“坂道”にみ

んないるよ。行こ」

「それとも気分悪いんなら帰るか?」

ナジャスが言った。

「大丈夫、行く」

 バーゼルはあの散らかった家へ今帰るのは嫌だった。

それに、ひょっとしてヒッターズの連中でも待ち伏せし

ていたらと思うと怖かった。体が思い通りにならないう

ちは、独りにはなりたくない。

「お前も来る?」

 ナジャスがちょっと試すようにルーカスに言った。ティ

キはまだうさんくさそうにキッとルーカスを見据えたが、

ルーカスは動じなかった。

「うん」

彼は答えた。その度胸のいいうなずき方にティキはほほ

うという顔をした。そしてガチャリガチャリと飲み物を

買いながら、

「ボード貸してやろか」

挑戦的に言った。

「うん、貸して」

今度もルーカスははっきりそう答えると、身軽にティキ

の乗って来たローラーボードに飛び乗った。自慢のオー

トスクータのことは忘れているらしい。

「乗るか?」

ナジャスがバーゼルに訊いた。まだ元気なく、バーゼル

は首を横に振った。

「だめだめ、病人だもの。あたしら歩いてくぜ。先行っ

て」

ティキが数本のイオンソーダを両腕でかかえて言った。

「持つよ」

「俺も」

 ナジャスとルーカスが二本ずつ手に持った。そして二

人はボードを転がし、ナジャスが指さして道を教え、競

走しながら冷たいアスファルトの上を風のようにすべっ

ていった。ティキとバーゼルはあとからゆっくり歩いて

いった。

 角を曲がった急坂のところで、マーヴィン、コーニー

ほか数人の仲間が待っていた。朝以来、バーゼルの身を

心配していたマーヴィンは喜びのあまり大声をあげてバ

ーゼルを迎えた。

 それから数時間でバーゼルの体調も治り、こうしてル

ーカスは、十一歳のティキを頭とする仲間の一員となっ

た。
  (つづく)
by Hanna
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