2 女性キャラクターは無視されてよいのか? (つづき)

2−2 ほとんど、あるいは全く登場しない女性たち

2−2−1 アルウェン(ルシエンと比較して)


 半エルフのエルロンドの娘アルウェンは、エルフたちから「夕星」と呼ばれ

る。エルフの時代が終焉に向かう中で生まれた最後の姫君だからである。アル

ウェンは「かのルシエンの再来と見紛うほど、彼女によく似ていると言われて

いました。」

 さてルシエンは「世界が若かったころの中つ国のエルフたちの王の娘」であ

り、不死の身を捨てて、死すべき人間の男性ベレンとの愛をつらぬいた女性で

ある。

 二人のヒロインが人間の男性と結ばれるいきさつを比較してみると、アルウ

ェンが、ルシエンをモデルにしていることがはっきり分かる。



   ルシエン(不死)&ベレン(人間)

     ルシエンの父は言う「私に…シルマリル(宝石)を持ってこい

    …そうすれば…ルシエンの手をそなたにあずけよう。」

     ベレンは探索に出、ついにシルマリルを手に入れる。

                   (「シルマリルリオン」より)



   アルウェン(不死)&アラゴルン(人間)

     アルウェンの父は言う「娘は、王でなくてはどんな男の花嫁に

    もさせるわけにはいかない…。」

     アラゴルンは指輪戦争を戦い、ついに王となる。



 しかし、二人の間には大きな相違点がある。ルシエンはベレンと一緒に探索

に出かけ、彼を助けながら多くの困難にうちかっていくのに対し、アルウェン

は指輪戦争の間じゅう家にとどまっている(4)。

 さらに、特筆すべきことは、トールキンが彼の妻エディスをルシエン、自分

をベレンとみなしていたことである。『指輪物語』の中でアラゴルンが歌った、

ルシエンとベレンの最初の出会いの場面は、トールキンとエディスの現実の体

験である。ハンフリー・カーペンター『J・R・R・トールキン 或る伝記』

によるとトールキンは若き日の思い出の情景を愛し、自分とエディスは「永遠

に…森の中の広々とした空き地で出会」っているのだと述べている。この現実

の情景から、ルシエンとベレンの物語が生まれた。エディスの死後、彼女の墓

碑には「ルシエン」と刻まれた(トールキン自身の墓碑には後に「ベレン」と

刻まれた)が、それについて彼は息子に次のように説明している。「お母さん

は…私のルシエンなのだ。…だれか私に近い心根の持ち主に…分かっておいて

ほしい…わたしと、母さんが、子供時代に経験したあのおそろしい苦しみ…の

こと、そして、わたしたちの愛が始まった後に、わたしたちが耐え忍んだ苦悩

のことを。…わたしたちは…最後の別離の時まで力を合わせて、さしせまった

死の影から逃れていたのだ。」

 ルシエンとベレンの苦しいが名誉ある探索行は、トールキンの青春時代の実

際の探索行であり、それゆえトールキンは自分の創作の中でもこの物語を最も

愛した。ならば、ルシエンの生まれ変わりであるアルウェンは、なぜアラゴル

ンとともに行かなかったのか?

 おそらく、大規模な指輪戦争の時代、世界はあまりに荒廃し混迷していて、

彼らの愛や協力の占める場所がなかったのだろう。また、アルウェンはルシエ

ンほどの力を持っていないのも事実だ。なぜならエルフの時代は終わりを迎え

ようとしており、ガラドリエルと同様、アルウェンも(アラゴルンと結婚しな

いならば)西へ去らねばならない運命にあったからだ。エルフの黄金時代に生

き、どちらかというとベレンの個人的な探索を援助したルシエンのように重要

で活動的な役割を、アルウェンは果たすことができない。

 中年に達したトールキンは、第二次世界大戦の中で執筆を続けながら、現実

の世界もまた悪化している――特に女性にとっては(彼は女性を理想化するタ

イプだった)――と感じていたのではないか。

(4)映画「ロード・オブ・ザ・リング」では、アルウェンはグロールフィン

デルにかわって、アラゴルンを迎えに行き、白馬を駆り抜き身の剣を片手に、

瀕死のフロドを乗せて疾走する。ブルイネンの渡しではガンダルフにかわって

呪文を唱え黒の乗手をやっつける、大活躍。これぞ本来あるべきヒロインの姿、

つまりは、さながらルシエンのように美しく力強く、魅力的だった。

2−2−2 エント女の悲劇


 さて、指輪戦争という時代背景を考えた時、物語に全く出てこないが、注目

すべき女性がいる。エント女たちである。

 二人のホビット、メリーとピピンがファンゴルンの森で迷った時、老エント、

木の鬚に出会う。彼は自分の種族について説明し、エント女を失ってしまった

と語る。エントの男性と女性は森と野原に分かれて住んでいた。「…エント女

たちは秩序と豊穣と平和を欲したからな(彼女たちの意味する平和とは物は置

いた所にいつもちゃんとなければいけないということなのよ)。そういうわけ

でエント女たちは庭を作って住んだ。…エント女たちの土地は豊かに花開き、

畠には穀物が溢れた。…しかしわしらは今なおこうしてここ(古い森)におる。

それなのにエント女たちの庭はすべて荒廃してしもうた。…わしらは…彼女た

ちの土地に行ってみた。しかし見いだしたものは不毛の荒地じゃった。そこは

すっかり焼き払われ、何もかも根絶やしになっておった。戦争がそこを通過し

たのよ。だがエント女たちはそこにはおらなんだ。…どこへ行ってもわしらは

彼女たちたちを見つけることはできなんだ。」(木の鬚の言葉)

 つまり、みのりと豊穣、多産の象徴であるエント女たちは、戦争が起こった

り環境が破壊されたりすると、いなくなってしまうのだ。彼女たちは男性のエ

ントよりも周囲の環境に対して感受性が高く、影響を受けやすい。エント女は

指輪戦争の時代には一人も物語に現れない。エント女の歌を歌ってつれあいを

しのぶ男性のエントたちも、長命ではあるが、むろん、絶滅の途上にある。

2−2−3 ホビットの女性たち


 最後に、ほとんど登場しないホビットの女性について考えてみる。

 ホビットはこの物語の中心的キャラクターであり、トールキン自身の作った

特別な種族である。王となるアラゴルンでなく、老賢者ガンダルフでもなく、

ホビットのフロドこそが、一つの指輪を滅びの山へ持っていくのだ。

 天沢退二郎は、ある対談で『指輪物語』の魅力について「時間的にも空間的

にもスケールの大きい別世界をまるごと造り出して、しかもそれを王侯貴族の

視点からではなく…常に下の方から世界を眺めようとしている。下の方から見

ているから、草の葉っぱ一枚、道端の小石一つまで思い描ける…もちろんあの

中にも支配者とか王族はたくさん出てくるけれど、しかし主人公の一行はいつ

も地べたを這うようにして旅を続けるわけでそこが大事ですね」(5)と語ってい

る。つまり、小さい人ホビットの視点が、読者に親近感を与え、物語世界を生

き生きとしたものにしているのだ。

 しかし、ホビットの女性はほとんど登場しない。フロドの故郷には多くのホ

ビットの女性が住んでいるのに、フロドと一緒に旅に出かけ、下の方からの女

性の視点を読者に提供してくれる者は一人もいない。

 ここでも、その理由はおそらく、大戦争の世界にあって彼女たちは、素朴な

田舎の主婦としての、なごやかで細やかな役割を果たすことができないからだ

ろう。彼女たちのかわりに、庭師サムがそのような役割をいくらかになってい

る。サムは調理道具を持ち歩き、料理をしたり、エルフの綱のつくりに興味を

示したり、物語後半ではフロドの健康や身の回りに気を配ったりする。また彼

は庭師なので、故郷の庭や小道にも注意を払う。しかし女性のものの見方や考

え方、かもし出す雰囲気などは、もちろんサムにも、他の男性キャラクターに

も求めようがない。

(5)別役実との対談「別世界創造の方法と実践」(『幻想文学 インクリン

グス』)より。

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