2.ミクロコスモスとしての“一つの指輪” (つづき)

B) 権力への意志の膨脹


 『指輪物語』にはたった一人、“一つの指輪”から全く影響を受けない登場

人物がいる。それは「森と水と丘の主人」[1巻236]トム・ボンバディルで、

見かけは陽気な老人のようである。フロドと仲間が邪悪な心を持つ柳じじいに

捕まった時、この人物が救ってくれる。フロドがトムに指輪を見せると彼はそ

れをはめるが、驚いたことに「トムの姿は全然消え失せそうもないではありま

せんか!」[1巻253]。なぜ指輪はトムには何の力も及ぼさないのか? それ

はトムが権力への意志をもたないからである。このことを聞き、エルロンドの

御前会議ではトムに指輪を託してはどうかという提案が話し合われるが、ガン

ダルフはこの考えに反対する。



   どうしてそんなこと【指輪を預かること】をしなければならぬのか、

   かれ【トム】にはそこのところがわかるまい。そしてもし指輪を預

   かったとしても、すぐ忘れてしまうか、それとも一番やりそうなこ

   とは、どこかにぽいと捨ててしまうじゃろう。指輪ごときは少しも

   かれの心をつかまぬからだ。           [1巻101〜2]



 デボラ&アイヴォア・ロジャーズはトムを「原初の“知恵”の記述について

のトールキンなりの解釈」(10)だとみなし、またジンバルドは、トムとその妻、

川の娘ゴールドベリは「思考なき無邪気なオヴィディウス的“黄金の世界”」

に住んでいる、と述べている。そういう意味でトムは、サウロン──「彼の知

る唯一のものさしは欲望、権力への渇望」[2巻109]──の全くの対極に位置

する。また、サウロン同様に指輪を使いこなす力を十分持ち、それゆえもし指

輪を手にすれば冥王になってしまう危険もあるガンダルフも、トムの対極にあ

る。『指輪物語』には、その者の権力への意志を示す二つの階段(グラデーシ

ョン)があるのだ。すなわち、《表1》に示されているように、一つはトムか

らガンダルフまで、もう一つは怪物グモ・シェロブからサウロンまでのグラデ

ーションである。



《表1》権力への意志の階段(グラデーション)
 

味方

自然、無邪気
 指輪の影響力を受けつけない
      │
      ↓
「単なる“消えうせたい”とい
 う望みを持つ」
      │
      ↓
権力への意志の肥大化
 不死、栄光、支配力などを望
 む(指輪に影響されてくる)

      │
      ↓
知識、強大さ、偉大さ
 

トム、ゴールドベリ

(エント)

ホビット:ビルボ
     サム
     フロド
ドワーフ

人間:ボロミア
   アラゴルン
エルフ:エルロンド
   ガラドリエル

ガンダルフ
 ───

(シェロブ)

(柳じじい)


ゴクリ*
(オーク)


人間:幽鬼




サルーマン
サウロン

 * …かつて指輪を所持し、それを取り戻そうとフロドにつき
 まとうゴクリは、必ずしも敵とは言えないが、指輪の悪の力に
 よって堕落している。


                 エゴ
 このグラデーションは、ユングが自我の膨脹と呼んだ現象を示しているよう
                     エゴ   セルフ
に思われる。それは、人間の意識の中核たる自我が、自己(ユングによれば、

意識・無意識両方を含む心理的全体性)の偉大さに影響を受けて、自身を自己

と同一視してしまう現象である。このような同一視が、何かのコンプレックス

(無意識の中にひそみ、自我の統制を乱そうとするもの)の影響の下に行われ

ると、人間は、例えば気違いじみた妄想に陥って、「私は神である」とか「私

は世界を支配しよう」などというゆゆしい状態に至る(11)。この状態がちょうど

サウロンであり、また、指輪をはめた時のサムの状態である。

 ジンバルドはこのような過程を、ユングのいう個性化の過程または自己実現

の過程と対照させて、「いつわりの個性化」と呼んでいる。真の個性化とは、

ユングによれば、人間の内的可能性を実現しようと努力し、自我を自己の全体
                       アイデンティティ
性にまで前進させようとする過程である(12)。それは、同一性の確立と呼ぶこと

もできる。その過程の中で、人間の精神は、知識や不死性、権力などへの望み

を強く持ちすぎて自我が肥大化してしまう危険にさらされる。例えば、サウロ

ンはエルフの鍛冶師たちの知識欲につけこんで、彼らから魔法の指輪をつくる

技術を盗んだ〉[2巻55]。また、古えの人間の王たちの祖先であるヌメノール

人は、不死を望むあまり国土を失った[付録A、6巻283〜5]。あるいは王な

き王国ゴンドールの執政の世継ぎボロミアは、サウロンの攻撃から国を救う力

と名誉を切望したがために堕落し、フロドから指輪を奪おうとする[2巻351〜

2]。

 従って、ジンバルドの述べているように、“一つの指輪”は「(自分が)
ワンネス
一つであること(唯我独尊)の指輪」すなわち、おのおのの自意識なのであ

る。ひとたび自意識が「トムによって統べられている無思考で無邪気な“黄金

郷”」から覚醒してしまうと、己れの存在を維持しつづけ、生存競争に生き残

ってゆくうちに、「いつわりの自己愛に陥る」恐れがでてくる‡†。冥王サウ

ロンは、いつわりの自己愛の象徴であり、物語の中では一つの赤い目としての

み現れる。この目は、アニメーション映画『指輪物語』の冒頭シーンで非常に

印象的だ──暗闇の中に血のように赤い目がある。それはだんだんに輝き出し、

黄金の指輪となる(13)。これとは対照的に、トムの「明るい青い瞳」は、彼が指

輪を片目にあてた時、「金の環を通して」きらめく[1巻252]。

 自意識の覚醒が人間の悪の始まりであるという考えは、キリスト教の原罪の

考え方と共通しているところがある。ジョン・バニヤンの『天路歴程』に出て

くるクリスティアンのように、フロドも、「おのが故郷から顔をそむけ」、原

罪という「重い荷」(14) 、すなわち指輪を負って、長い旅をしていく‡‡。

 トールキンは、物語と実生活の両方において、文明の進歩の悪い側面を嘆い

ているようだ。文明の進歩は、自意識が知識に目覚めたのと時を同じくして始

まった。堕落した魔法使いサルーマンは自分の住むイセンガルドやフロドの故

郷の緑を破壊し、機械で満たしてしまうが、彼は、ファンゴルンの森の原始の

怒りと、ホビットたちの団結によって徹底的にやっつけられる。1958年のある

スピーチで、トールキンは次のように語った。



   サルーマンはたくさんの子孫を持っていることがわかります。彼ら

   に対するわれわれホビットたちには、魔法の武器はありません。で

   も、わがホビット紳士諸君、私はこう乾杯したい。「ホビットたち

   のために! 彼らがサルーマンたちよりもいやさかえ、木々に春の

   訪れを再び見ることができますように」(15)



 エコロジー運動が広まってくると、多くの人々が、自然とのつながりを断つ

科学で武装した自意識(16)が原因となったこのような害悪に、注意を払うように

なった。河合雅雄は、この問題をサルと人間の生態学的研究の観点から考えて、

自分たちだけが生き残り、幸せになろうとする人類の幻想は、自分自身を滅ぼ

すだろうと書いている。S.フロイトを引用しながら、河合雅雄は、人類には死

への内なる衝動があるのかもしれないと言っている(17)。私はこの衝動は“一つ

の指輪”によって象徴されると思う。フロドがついに滅びの山にやって来たと

き、指輪は滅びに向かって転がりおちてゆく「火の車」[6巻100]のように見

える。

  (10)…ロジャーズ『J.R.R.Tolkien』 P.100〜1
  (11)…河合隼雄『ユング…』 P.220,223,68,72〜3
  (12)…同前書 P.30
  (13)…『ペーパームーン』 P.46、小野耕生“闇を征く騎士たちのひびき”
  (14)…タッカー&ウィリアムス『Invitation to British Literature』P.34に引用
  (15)…カーペンターズ『或る伝記』 P.226
  (16)…河合隼雄『昔話…』 P.223
  (17)…河合雅雄『森林がサルを生んだ』 P.236〜7

†〈トリックスター、トム・ボンバディル〉
                                  わ
 a)特異な存在:トムには指輪の力が通じないばかりか、トムは指輪の円環を

通して物事を見ることができる(「かれはそれを不意に片目に押し当て、声を

あげて笑いました。」[1巻252])。 つまり、彼は世界を見通しているのであ

る。トムの青い瞳の輪(原初の智恵、本能)は、指輪(人知)に匹敵する。

 b)自然霊トム:最年長、川・森・大地の主──善悪以前の、いわゆる「荒魔

法」の持ち主であるトムとゴールドベリは、原罪前のエデンの園のアダムとイ

ヴである。だが彼の住む地域(原生林、人跡未踏に近い荒野)は、時代ととも

に狭まっている。これは人類の繁栄とあいまって進む自然の減少によるものだ。

「今ではかれは自分で設定しただれの目にも見えぬ境界線の中の小さな土地に

ひっこんでしまった。恐らく時節が変わるのを待っているのじゃろう。」[2巻

101]

 ★トムが狭い土地にひっこんだのは力を制限されたからだ、とは書かれてい

ない。彼はただ「時節を待って」いるのだ。人類は強大になり自然を征服しつ

つあると自分では思っているかもしれぬが、自然は決して敗れ去ってはいない。

いつの日かトムの力が再び示される時が来るに違いない、文明というはかなき

営みがついえ去った後に、再び原初の者はよみがえり、廃墟には草が生い茂り、

やがて森となるだろう──トールキンはそう示唆しているのではないか。

 c)トリックスターとしてのトム:「森には空飛ぶトリックスターがいる」

[W.H.オーデン“Have A Good Time”] 「トリックスター」の原義は“ぺ

てん師、手品師”。トムが指輪を投げて消す仕草は、手品師的である。「トム

は…指輪を空中にくるくるっと放り上げました──指輪はぱっと光を放って見

えなくなりました。」[1巻253] 文化人類学では、トリックスターは民話・神

話に登場し文化英雄の役をする。「彼(トリックスター)は善悪にこだわって

いない」[河合隼雄『昔話…』P.146]…トムは原罪以前=善悪以前の存在で

ある。また、トランプのジョーカー的存在でもある。「トムは…神と人間、自

然と文化、秩序と混沌のいずれにも自由に出入りして、双方を仲介する『いた

ずら者』」[早乙女忠『トールキン小品集』の解説]

          ヒエラルキー
‡〈トールキン世界の階級制〉 表中で、実際に指輪を目にしていない

者には( )をつけた。対象を指輪に限らなければ、人間の項目に、パランテ

ィアに執着したデネソール、不死を望んで堕落したヌメノール人などを加える

ことができる。実際この表には、トールキンの第二世界における全登場人物を

網羅することもできると思う。取るに足りないつまらぬ者(small man =小さ

い人、ホビット)から偉大なる神々までのグラデーションと、そのおのおのが

果たす役割について考えることは、トールキンの追求したテーマの一つではな

いか。

 ★ガンダルフの位置に注意。彼は自らを「執政」と呼び[5巻33]、グラデー

ションの最高峰ではない。彼はここぞという時は天啓的な力をふるうが、普段

は漂泊の老人にすぎず、サウロンが指輪を通じ、一つの目として常に凝視し力

をふるうのとは異なる。もしガンダルフが常に力をふるえば、彼はもはや小さ

き者たちの味方ではない。いかに善を行っても独裁者は民衆の真の味方とはな

りえず、人々の自由意志を侵してまで介入する神は、もはや善神ではないから

である(〈自由意志と神々〉参照)。従って(『シルマリルリオン』によれば

ガンダルフはマイアで、もともとサウロンと同等の力を持つのだが)、表中で

サウロンに対し“味方”の最高峰はあえてガンダルフとせず、空欄とする。絶

対的権力をふるう者がいないことこそ、善=味方の特徴なのだ。「善き力ある

者たちは、帝国建設者ではない」[ロジャーズ『Tolkien』P.101]

 ★シェロブについて:『シルマリルリオン』によると、シェロブは原初の闇

の怪物ウンゴリアントの末裔で、サウロンと好対照をなす邪悪な自然力の権化

だといえる。

‡†〈自意識の存在目的─自己保存欲〉 自意識とはそのものの存在

の核、すなわち生命であるといえる。指輪は「誕生日の贈り物」、つまり誕生

の時その者に贈られた生命の象徴である。『はてしない物語』でも、アウリン

の二匹の蛇の輪の中にあるのは「生命の泉」で、その水は自意識と深くかかわ

っている。「ついにバスチアンは…大きな黄金の環の前に立っていた。その環

のまんなかから、生命の水が水晶の木のように、高く高く噴きあがっていた。」

[エンデ 『はてしない物語』P.572](黄金の環のイメージは、指輪と重な

る。)

 ★自意識が覚醒した時、その存在目的は己れの存在を守ることである(すべ

ての生き物の持つ自己保存欲)。「ボクガ“ワタシ”トイウ認識ニ目覚メルト

…覚醒シタ“ワタシ”ハ モハヤ創造主ノツクッタボクデハナイ…“ワタシ”ハ

“ワタシ”ノ目的ヲモチマス…【それは】ワタシ自身ヲ守ルコトデス」[佐藤

史生『ワン・ゼロ』] この自己保存欲が肥大しすぎると、“いつわりの自己

愛”となり、自分自身を縛って他者が見えなくなる。

  「汝自身、自由な身どころか/自分自身の奴隷になっているではないか」

            [サタンへの言葉、ミルトン『失楽園』6−180〜1]

  「…充血した目みたいだ」「あれは“魔”によって肥大した“欲”の汚れ

  よ」(冥王の赤い目のイメージと重なるこれは、地球のことである)

                          [『ワン・ゼロ』]

‡‡〈原罪としての指輪〉 指輪が自意識ならば、指輪を持つ=覚醒

するということは、人間として生まれたことの罪、すなわち原罪 original

 sin である。

  「存在するだけで“私”は他人の存在をおびやかしているのだ」

    [ヤスパース『Tragedy Is Not Enough』ジンバルドによる引用、

     P.68〜9]

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