3.マクロコスモスとしての“一つの指輪” (つづき)
B)譲り渡し
このような覚醒と再結束の後、それぞれの種族は、共通の敵から故郷を守る ためにたたかわねばならない。これが中つ国のほとんど全種族を巻き込んだ 「指輪戦争」[1巻26ほか]である。そうして、人間を除く全ての種族が、人 間に中つ国を譲り渡して世界の舞台から退場してゆく†。それは、ガンダルフ が、ついにゴンドールの王となったアラゴルンに言う通りである。 「新しい時代の始まりを整え、保存してさしつかえないものはこれ を保存する、これがあんたの仕事じゃ。というのは、多くのものが 救われたとはいえ、今や多くのものが消えていかねばならぬからな。 …土地のすべてが…人間の住む場所となろう。なぜなら人間の支配 する時代が来たからじゃ。最初に生まれた者たちは衰えゆくか、去 って行くのじゃ。…重荷は今度はあんたとあんたの種族が負わねば ならぬのじゃ。」 [6巻155〜6] すなわちここにもう一つの譲り渡しがある。他の種族から人間への譲り渡しだ。 ポール・コチャーは、トールキンは「人間以外の知的種族すべてが退場し消え てゆく長い過程の中の、最初の第一歩を示している。他の知的種族は、結果的 に人間をひとり地上に残して去ってしまうであろう」(33)と指摘している。ゆえ に『指輪物語』は、伝説がいかにして具現するか、ということと、物事がいか にして伝説になってゆくか、ということの両方を示しているのだ。ホビットの フロドは伝説の中から「とび出して来」、そしてエルフたちと共に西方へ出発 するときに再び伝説の中へと戻って消えてゆくわけである。 しかしトールキンは、世の無常をただ嘆いているだけではなく、それを「歴 サイクル 史と夢」(34)の大きなめぐりの一部としてとらえている。なぜなら、失われたも のも、後に残った者がそれを夢の中に(つまり物語や歌や神話として)持ち続 ける限り、生き残っていくことができる。そして大いなる年がめぐりくれば、 それらは夢の中から新たによみがえり、記録されることによって不滅の歴史と なることができるのである。すなわち「歴史と夢の間に、言語がうまれる」(35) のだ。この循環の法則‡に従い、『指輪物語』はそれ自身、文学的作品として の、古えの歴史的出来事の再現なのだ。というのは、文学的作品がいくら死す さだめ べき運命のものを永遠化するといっても、遅かれ早かれ、そのような記録さえ、 誰かが伝えていかねば忘れ去られていくからだ。トールキンは、幾世代ものあ いだ忘却の中に失われていた中つ国のある歴史的記録の古い写本を、あたかも 彼が書き直したかのように振る舞っている(36)。 シンボル このような循環の象徴として、トールキンはしばしば樹のイメージを用いて いる。とりわけ、サムがガラドリエルにもらった種子は、切り倒された「誕生 祝いの樹」[6巻245]の代わりに、ロリエンのマローン樹に成長する。サウロ ンが打ち負かされた後の春、その樹が満開に花開く場面[6巻259]は、再生の 喜びのうちでも最も印象的な体験である。前の世代の譲り渡しによってもたら される再生は、その度ごとに、みずみずしく価値あるものであると、トールキ ンは“物語の樹”について説明するさい語っている。 もちろん春というものは、出来事と同じように、ほかの春をみたり、 聞いたりしてしまったからといって、それだけその美しさを減ずる、 というものではありません。…葉の一枚一枚は、それぞれ、それ独 自の形状の具現なのであって、たとえばカシの木は、人間の歴史の 幾世代にもわたって葉をひろげてきたとはいっても、ある葉にとっ ては今年こそが、その具現の年であり、初めて人の目にふれ、認識 されるのかもしれないのです(37)。 いきもの 全ての被造物の生と死のサイクルは、種の保存の唯一の方法であり、これこそ リング リング が真の世界の円環なのだ。そしてミクロコスモスの指輪(=生命)の真の主 リング (Lord)は、マクロコスモスの円環についてもいくらか知ることができる。ち ょうど引退したビルボが、フロドの滅びの山への出発に際し歌うように。 炉辺にすわって思うのは この世がどんなになるだろうか、 春が来ないで冬ばかり つづくとしたらどうだろうと。 なぜならわたしの見ぬものが この世にまだまだあるがため。 春くるごとに森ごとに 緑の色がちがうもの。 … … 耳そばだてて待つものは 戻る足音、門の声。‡† [2巻125〜6] ビルボが待つものは、フロドの帰還であり、「王の帰還」であり、すべての生 リング 命の輪の新しい具現のために春が戻りくる足音であるのだ。
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