序章 「女性が一人もいない」
J.R.R.トールキン(1892−1973)の『指輪物語』が有名になり始めたこ ろ、このユニークなファンタジイについては、多くの批評があった。ほめる者 もいれば、けなす者もいた。後者の一人、J.W.ラムバートはサンデー・タイ ムズ紙上で、この物語には、「いかなる種類の宗教的精神もなければ、事実上 女性もいない」と言った(1)。私は、『指輪物語』の中の女性について彼の言っ たことに注目し、考えてみた。 初めに、はっきりしているのは、ラムバートは『指輪物語』に実際に一人も 女性キャラクターがいない、という意味で言ったのではない、ということだ。 なぜなら『指輪物語』には、数こそ少ないが、何人かの女性が事実、登場する。 しかしおそらく彼女たちはラムバートにとってあまりに印象が薄く、無視され てしまったのだろう。 すると問題点は二つ。これらの女性キャラクターはなぜラムバートに何の印 象も与えなかったのか? そして彼女たちは本当に無視されてよいのだろうか?
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1 女性キャラクターはなぜ印象が薄いのか?
1−1 ほんの数人しかいない女性キャラクター
『指輪物語』の女性キャラクターを、区別なく選び出してみると、 (1)ゴールドベリ:自然の精霊「川の女の娘」。第1巻第7、8章にのみ 登場。 (2)ルシエン:『指輪物語』の時代よりはるか昔に生きた美しいエルフの 王女。アラゴルンが第1巻第11章で彼女の歌物語を語る。また彼や他 の登場人物たちが時折彼女に言及する。 (3)アルウェン:半エルフ、エルロンドの君の娘。アラゴルンのフィアン セだが、第2巻第1章、第6巻第6章、そして付録に、部分的に出て くるだけである。 (4)ガラドリエル:秘境ロリエンのエルフの女王、いにしえの力あるエル フたちの最後の一人。第2巻第7−8章に出てくる。 (5)エオウィン:ローハンの姫君。物語中ただ一人の人間の女性。第5巻 第2−3、5−6,8章と、第6巻第5−6章に出てくる。 この5人しか見つけられない(登場する部分が上記5人より少ないイオレス、 ロージー、ロベリアや、怪物グモで言葉を発しないシェロブは除いた)(2)。物 語の全体を通じて登場する女性は一人もいない。全物語を構築する軸になる主 要登場人物「指輪の一行」は9人の男性で構成され、女性メンバーは一人もい ないのである。
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1−2 女性キャラクターの果たす役割は限られている
比較のため、男性キャラクターを調べてみる。『指輪物語』には少なくとも 24人の男性キャラクターがおり、物語に果たす役割に注目してここでは6つの グループに分けてみた。 (A)ホビット:主人公フロドと彼の同行者サム・メリー・ピピンほかすべ てのホビットおよび、人間のバタバー。陽気で親切、素朴な田舎の住 人。「あーあ! 僕たち…は高尚なものばかりでは一生暮らせないね」 (ピピンの言葉)。「小さい人」と呼ばれるが、フロドは物語の主人 公として、指輪を所持し、偉大な仕事を成し遂げる。 (B)最も賞賛すべき性格の指導者:魔法使いガンダルフと、後に人間の王 となるアラゴルン。「あの二人は同族にちがいないと思うね」(ピピ ンの言葉)。公明正大で無私の人であり、全世界の平和のために働く。 理想的な英雄。 (C)(B)のような偉大な人になろうと努力し、苦しい経験をする人:ロ ーハンの老王セオデンと、ゴンドールの執政の第2子ファラミア。彼 らがくぐり抜けた困難は、彼らの性質にある深みを与えており、私 (そしておそらく多くの読者)には印象深い。 (D)種族の代表:ドワーフのギムリ、エルフのレゴラス、その他多数。主 たるキャラクターに助言や援助を与えるが、彼らの最大の関心事は彼 ら自身の種族・土地のことである。彼らの存在は物語のスケールを広 げるのに役立っていると思える。 (E)(C)のアンチテーゼ:良き人たらんと努力するにもかかわらず、悪 の力に(部分的に)屈してしまう人:ゴンドールの執政の長子ボロミ アと、その父デネソール、堕ちた魔法使いサルーマン。 (F)悪の力の使徒:ゴクリはホビットと同類だったが、指輪への執着にと りつかれてしまっている。また、サルーマンの召使い蛇の舌。二人と も、堕落しているが、憐れむべきキャラクターであり、(E)ととも に、人間の心の弱さを示している点で印象深いと思われる。「あわれ なやつだ! われわれにひどいことをしたわけでもないのだ」(フロ ドの言葉)。 さて、今度は女性キャラクターを(A)〜(F)にあてはめてみた。ただし、 物語に果たす実際的な役割という見方をした場合、歌や伝説に出てくるのみの ルシエンは、除かざるをえない。ゴールドベリ、アルウェン、ガラドリエルの 3人は、みな不死で、主要登場人物を援助し、助言や贈り物を与えるが、自分 たちの故郷にとどまっている。彼女たちは(D)種族の代表であり、物語の中 では助言者・助け手でしかない。 女性キャラクターの中でただ一人、エオウィンだけが死すべき人間で、人間 的な心的葛藤(トラブル)をかかえ、人間的な愛情や喜び・悲しみを感じてい る。彼女は王家の一員で高いプライドを持っているので、(C)偉大な人にな ろうと努力し、苦しい経験をする人の一人だと考えられる。 女性キャラクターには(A)(B)(E)(F)の役割を果たす者がおらず、 男性と比べてかなり役割が限られていることがわかる。 |