2 女性キャラクターは無視されてよいのか?
2−1 注目すべき二人の女性キャラクター
エオウィンとガラドリエルは、登場する場面の多さ・長さからも、心理状態 についてより深く描写されていることからも、注目に値すると思う。 2−1−1 エオウィンの悲劇と回復
人間の女性エオウィンは、私にとってもっとも身近に感じられる女性キャラ クターである。最初彼女は宮廷に住み、老いた伯父ローハン王をたすけている。 だが「時代は暗くなり始め」中つ国じゅうで「戦が近づいてきた」。そして彼 女は家にとどまっていることに満足できず、戦に行って名誉を得たいと思うよ うになる。 自分は「楯持つ乙女であり、子守ではない」と彼女はアラゴルンに言う。 「…わたくしが思うさま自分の人生を送ってはいけないのでしょうか? …殿 のお言葉の裏はこういうことにすぎません。お前は女だ。だからお前の役割は 家の中にある。だが男たちが戦いで名誉ある討ち死にを遂げた後には、お前は 家とともに焼かれてもよろしい。なぜなら男たちはもはやその家を必要とせぬ のだから、と。けれど、わたくしは…召使い女ではございませぬ。…苦痛も死 も恐ろしくはありません。」 彼女が恐れるのは「檻です。…柵の後ろに留まること」であった。これらの 言葉から、エオウィンが、現代女性のように、女性の居場所は家の中だけでは ない、女性は男性のためだけに存在するのではない、と進歩的な主張をするだ けでなく、何か深刻な悩みを抱えていることが分かる。 父はもうろくして悪人の言うなりになり、その悪者から自身も狙われている。 家には相談相手もなく、頼りの兄は出張ばかり。トールキンがこのような“家 庭婦人”ならではのストレスを問題と認識していることは注目に値すると思う。 家を出て思うさまの人生を送りたいとは、むしろ女流作家がおはことするテー マのように思えるからだ。 ガンダルフの到来で王は癒されて、兄や多くの男たちとともに出陣したが、 エオウィンだけは取り残された。ストレスは解消されず、次に異国の英雄アラ ゴルンが来た時、彼女はともに出陣したいと願うが断られる。ついに家から出 ることを許されなかったエオウィンは、男に変装して戦におもむく。その顔は 「望みを持たぬ者の顔、死地を求めに行く者の顔」だった。王や兄が困難な状 況の中でも希望を持ってはつらつと戦いに向かうのに比べ、彼女は精神的に追 いつめられた状態で出陣してゆくのだ。 エオウィンは指輪の幽鬼と戦うのだが、この幽鬼は「生き身の人間の男の手 では討たれぬだろう」と予言されていた。「しかしわたしは生き身の人間の男 ではない! お前が向かい合っているのは女だ。私はエオウィン」と、トール キンは彼女に言わせている。男装の戦士であっても、トールキンは意図してエ オウィンを一人の女性として創ったのである。 エオウィンは幽鬼を倒すが自分も傷つき、絶望の中で死に瀕する。彼女の兄 エオメルはこの時まで彼女の心の絶望を知らなかった。「姫には己が人生がた だ萎みゆく一方に思えたじゃろう。寝室の壁は四方から迫り、野生のものを閉 じ込めておく檻のように思えたことじゃろう」(ガンダルフの言葉)――優秀 な“家庭婦人”のこのような状態に、身近な家族が気づかない。そして、王も 癒され悪臣も退治され、戦で名誉を得ても、なお彼女の精神は回復しないので ある。 それでは、エオウィンの苦しみの源は何なのか? 彼女を檻に閉じ込め、絶 望させているものは何なのか。 それは、彼女の生きた時代、指輪戦争の時代そのものではないだろうか。 「敵は急速にその力を強めて」おり、一つの指輪を手に入れれば「全ての国 を第二の暗黒で覆って」しまう、そんな状況のもとでは、男たちが戦争に出か ける一方で、女性たちは家に残されなすすべを知らない。現実の戦時の状況、 たとえばトールキンが『指輪物語』を執筆した当時の第二次世界大戦下の状況 に似ていると考えられる。 ついに邪悪な力が打ち破られると、エオウィンの心は変化する。 トールキンは一見、彼女を愛するファラミアによって彼女が癒されたかのよ うに語っているが、彼の愛だけがエオウィンを癒したとは、私には思われない。 彼女が救われたのは、世界が救われ、平和が戻ったからである。「…それにほ ら! 影が去りました! わたくしはもう楯持つ乙女(3)にはなりませぬ。…殺 戮の歌のみを喜んだりはいたしませぬ。わたくしは癒し手となり、すべての育 っていくもの、不毛でないものをいつくしむことにします。」と彼女は言って いるからだ。 戦時下でエオウィンは、男のように武装した望みなき戦士以外のものにはな れなかったが、戦争が終われば、女性が生来そうあるべきもの、つまり癒し手、 はぐくむ者、生命を愛する者になることができるのだ。
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2−1−2 ガラドリエルの悲劇
もう一人の注目すべき女性キャラクター、ガラドリエルは不死で、魔力があ り神秘的で、少しよそよそしい感じがする。彼女の上流階級的な態度は読者で ある私自身からは遠く思われ、最初はあまり興味をそそられなかった。が、彼 女は死すべきさだめの人間と、不死のエルフ族の両方を見守っているだけでな く、その不死性と偉大な力ゆえに独自の生き方をし、独自の悩みを抱えている。 このような特異なキャラクターは、『指輪物語』(そして良質なファンタジイ すべて)の持つ魅力の一つであると言えるかもしれない。 ガラドリエルは、力あるエルフ(ノルドール族)の指導者の家系の最後の一 人である。冥王が一つの指輪を手に入れれば、彼女と彼女の民はその邪悪な力 に屈してしまう。しかし、指輪が冥王の手に渡らず破壊されれば、邪悪な力も 滅ぶが、ガラドリエルの力もまたなくなってしまい、彼女と彼女の民は「西へ 旅立つか、さもなければ退化して粗野な種族になり下り…忘れられていくほか はありますまいね。」どちらにせよ、エルフの時代の終焉がせまっており、不 死であっても彼女にはそれを止めるすべがない。 ところで、もしガラドリエル自身が一つの指輪を手にすれば、彼女は冥王に かわってこの世の女王となり、「朝と夜のように美しく戦慄すべきものとなろ う! …みなすべてわらわを愛し、そして望みを失うであろう!」。 しかし、彼女はどんなに良い意図で始めるにせよ、そのように指輪の力(権 力)をふるってはならないことを悟っている。 そこで、彼女は選択する。「わらわは小さくなることにしましょう。そして 西へ去って、いつまでもガラドリエルのままでいましょう。」 自身は不死でありながら、この世界の移ろいや荒廃に対しては、結局無力で あると悟ること。自分自身を保つためには、愛する世界を捨て去らねばならな いこと。ここに、不死の者たちの悲しみ=無常感がある。もはや「現存してい るにもかかわらずはるか遠い存在、移り行く時の流れに遠く置き去られたもの の生ける幻」であるガラドリエルは、中つ国の生命の癒し手・はぐくみ手には なれない。 |