1.“一つの指輪”とは何か?

A)“一つの指輪”の物語


   三つの指輪は、空の下なるエルフの王に、
            やかた
   七つの指輪は、岩の館のドワーフの君に、
            さだめ
   九つは、死すべき運命の人の子に、

                           [物語冒頭]



そして『指輪物語』は「それら全てを統べる“一つの指輪”」[物語冒頭]の

物語である。その指輪とは、小さな民ホビットの一人、ビルボ・バギンズが見

つけた魔法の指輪だ。

 著者J.R.R.トールキンは、この物語は「寓意的なものでもなく、今日的な

問題を扱ったものでもない」[著者ことわり書き、6巻392]と断言しているし、

私も、特に1950年代の一部の批評家が考えたように“一つの指輪”を原爆とみ

なし、“指輪の主”(the Lord of the Rings)すなわち冥王サウロンをスター

リンとみなすことは(1)、適切でないと思う。しかし、指輪というものは、西洋

の多くの妖精譚や伝説の中で、重要で象徴的な役割をしばしば果している。ま

た、この物語の表現形態であるファンタジイとは、読者に、明白で生々しい印

象に加えて、幾らか象徴的な印象を与えることも可能であると思う。そこで私

はあえて一読者としての観点から、次の二つの問題を考えてみる。すなわち、

“一つの指輪”とは何か? そして“指輪の主”とは誰か?

  (1)…荒俣宏『別世界通信』P.61

B)平凡な金の指輪


 物語は、ビルボ・バギンズが引退して後継ぎのフロドに全財産と指輪を譲る

ところから始まる。それは飾り気のない、だが美しい金の指輪で、はめた者を

見えなくするのである。しかしフロドの後見者の魔法使いガンダルフは、その

指輪こそ冥王サウロンが中つ国の世界を統べるために作った“一つの指輪”だ、

とつきとめる。フロドがガンダルフに見せようと指輪を取り出すと、それは

「突然、すごく重く」[1巻89]感じられ、火の熱によって、隠された火文字が

指輪の上に現れる。



   一つの指輪は、すべてを統べ、一つの指輪は、すべてを見つけ、

   一つの指輪は、すべてを捕えて、くらやみのなかにつなぎとめる。

                             [1巻90]



 ガンダルフによると、その指輪を持つ者は、死すべき者であっても死なず、

「しまいには、永遠に姿は見えなく」なる[1巻84]。さらに指輪は、それをは

めたいという焼けつくような欲望で所有者を悩まし続け、ついには「指輪がそ

の者を所有するに至る」[1巻83]。火の山の深みにある“滅びの亀裂”に投げ

込む以外、誰にもその指輪を壊すことはできない。“滅びの亀裂”はその昔、

冥王サウロンが指輪を作った所である。フロドは友人たちと共に指輪を壊すた

めの探索に出発する。

 このような指輪は私に、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』に出てく

る宝、アウリンを思い出させる(『はてしない物語』には、『指輪物語』に出
             シンボル
てくるものと共通の典型的な象徴やパターンが、よりはっきりと現れていると
                タリスマン
思う。例えば、貴重でしかも危険な護符、それを譲ること、人間の権力への意

志、主人公の帰還など)。アウリンは人の望みを実現させる力があるが、その

代わり現実世界の記憶を奪い、持ち主はしまいに帝王になろうと望むに至る。

それはちょうど、“一つの指輪”を使う者が次第次第に邪悪になり以前とは違

ってしまい、ついには彼自身が冥王になろうとするのと同様である


†〈“一つの指輪”とアウリン〉

『指輪物語』

『はてしない物語』

指輪(金色)
・小さな宝、(同時に世界の象徴)

・所有を宣言すればすべての望みをかな
 える力がある

アウリン(金色)
・小さな宝、同時にファンタージエンの
 世界
・銘:「汝の欲するところをなせ」

主人公フロド
・small man :小さき民の一人、つまら
 ぬ者
・指輪を首にさげて探索の旅

主人公バスチアン
・small man :子供、つまらぬ者

・アウリンを首にさげて探索の旅

指輪の危険性
   ─冥王になってしまう危険
・指輪にとりつかれた者:
   ゴクリ、指輪の幽鬼
・使うたびに危険性は増す

アウリンの危険性
   ─帝王になってしまう危険
・帝王になった後、抜け殻になった者:
   もと帝王たちの都の住人
・望みを持つたびに危険性は増す

仲間の大切さ
・「旅の仲間」などの助力

・ゴクリや、サムの助力により、指輪を
 手放すことができる

仲間の大切さ
・「霧の海」の体験、アイウォーラおば
 さまの助力
・アトレーユの助力で自らアウリンを外
 す

故郷への帰還
・ホビット庄を回復し豊かに
・自らの癒しは世界の外

故郷への帰還
・現実界を豊かにするだろう(予測)
・父親を癒し、自らも癒される

(最後は異なっている)

C)指輪の象徴性

              まる
 ユング派の心理学者は指輪の円い形に注目して、指輪を自己の心理的全体性
                           マンダラ
の象徴とみなす。河合隼雄は、全体性を表す幾何学的図形は曼陀羅(サンスク
               プレシャス
リット語で「円」の意)であり、貴重で得難いことから一つの宝石として表現

されることがある、と説明している。主人公が貴重な宝石を手に入れるために

困難を切り抜けるという妖精譚は多い(2)。『ホビットの冒険』もその一つであ
                 マイ プレシャス
り、指輪の所有者はしばしばそれを“いとしいもの”と呼んでいる。

 全体を表す円い形は、自らの尾を咬む一匹の蛇としても表され、中世の神秘
             
主義の世界ではウロボロスの環と呼ばれた。これは無限、輪廻、または「全体

は一なり」(3)ということを意味する。北欧神話では、この世は自らの尾を咬む

ミッドガルト(中つ世界)の蛇に取り巻かれている。これらのイメージの影響

の下に、エンデはアウリンを、はてしない世界ファンタージエンの境界を表す

ものとして、「…表面には…二匹の蛇がたがいに相手の尾を咬み、楕円につな

がっているのが見えた」(4)と描き出している。そこで、アウリンとの類似性か

ら類推し、また世界を統べる力を持っていることからも、トールキンの“一つ
            シンボル
の指輪”は、人間の自己の象徴であると共に、全世界の象徴でもある。それこ

そは、指輪が「こんなちっぽけな物」(ボロミアの言葉)[2巻348]であり、

「偉大な指輪」[1巻85]でもあるゆえんである。C.G.ユングは“自己”の概

念を説明するのに、聖クリストファーの物語を使っている。聖クリストファー

が一人の小さな子供を背負って川を渡っていると、その男の子がどんどん重く

感じられ、ついに全世界を背に負っているかのような重みとなる。少年はキリ

ストだったと判明する(5)。興味深いことに、指輪所有者フロドは、探索の旅を

進めるにつれ指輪がだんだんと重くなっていくように感じ、とうとうほとんど

歩くこともできなくなる。「とっても重くて持って行けない、とっても重いん

だよ。」(フロドの言葉)[6巻87] この時点で指輪は中つ国の運命にとって

非常に重要なものになっているため、全世界のように重く感じられるのである。
                     ミクロコスモス        マクロコスモス
 従って、小さくて大きな指輪は、個人という小宇宙と、世界という大宇宙の
                            コスモス
両方として考えることができる(6)。さらに、指輪はその二つの宇宙のつながり

をも表しているように思われる。河合隼雄はM.L.フォン・フランツを引用し

て、指輪とは自己を意味するだけでなく、結合と拘束をも意味しうると書いて

いる(7) 

  (2)…河合隼雄『ユング心理学入門』P.219、同『昔話の深層』P.231〜3、アイザックス&ジンバルド編『Tolkien: New Critical Perspectives』P.91のP.グラント“トールキン、原型(アーキタイプ)と言葉”
  (3)…荒俣宏『別世界…』P.79〜80、ほか
  (4)…エンデ『はてしない物語』P.52
  (5)…河合隼雄『ユング…』P.229〜30
  (6)…私市保彦『幻想文学の文法』P.99
  (7)…河合隼雄『昔話…』P.231

†〈結合と拘束の象徴性〉 指輪(ミクロコスモス)と指輪を取り巻く

世界(マクロコスモス)を考えたとき、その二つをタテに貫くのが結合と拘束

の象徴性――結びつき、束縛、絆、かかわり、ということである。

 a)その最初の例が、指輪の銘「すべてを捕えて…つなぎとめる」、拘束の

   象徴性である。指輪をはめることは、タガをはめること(指でなく首や

   手足に輪をはめれば、これは束縛と隷属のしるしである)。

 b)指輪が、光と闇、善と悪を結びつける象徴性

   …あとの〈善悪の表裏一体性〉参照。

 c)指輪が、個々の自意識をつなぐとなっている象徴性

   …あとの〈服従という美徳〉参照。

 d)指輪戦争により、様々な種族が悪に対抗して団結する象徴性

   …あとの〈認知の体験〉参照。

 e)指輪の譲り渡しにより、歴史(現実)と夢(伝説)とが結びつく象徴性

   …あとの〈歴史と夢の循環〉参照。

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