23.モハーの人助け

 海岸沿いを走り、狭い悪路も走り、坂道をセカンド・ギアでく
ねくね登って、ようやくモハーの断崖に着いた。4時。駐車場に
車を止めて、突端へと歩く。モハーの断崖(Cliffs of Mohar)
は、長さ8キロにわたって海面から200メートルもの絶壁が続
く“アイルランドの東尋坊”だ。下は大西洋。ずっと先にうっす
らと島影が見えるのは、アラン諸島のイニシア島だろうか。モハ
ーの突端には、オブライエン・タワーという2階建て程度の高さ
の観光用の塔がある。塔の前の芝生をギリギリの所まで行くと、
少し海に突き出ていて、真下は海!という場所もある。自分は今
どういう状況に<居る>のか、ということを冷静に考えると、か
なり恐い。妻を入れて断崖の写真を撮るが、逆光なのが少し残念
だ。
 駐車場から突端へ向かうとき、華氏は1人の外人さんに声をか
けられた(いや、本当は華氏らが“外人”なのだが)。首からな
んとミノルタのカメラを提げたおじさんは、困っているようだっ
た。華氏がしばらく聞いていると、どうやら「私が買ったフィル
ムはASA200だった。ところが、このカメラはASA100
に合わせてある。調整するには、どこをどうしたらいいか」、と
いう内容らしい。なぜ華氏に声をかけてきたのか、と考えたが、
どうやらニコンのカメラを持っていたのを目ざとく見つけたらし
い。華氏は初めて触るカメラを覗き込んだり裏っ返したりしてい
たが、やがて「う〜、あいむそーり。あいきゃーんとあじゃすと
いっと……」といって、いかにも日本人らしく苦笑いをした。妻
がいろいろ弁解してくれていた。おじさんも「ソウデスカ、ソレ
ハ残念」と言ったのか言わないのか、一礼して去っていった。華
氏はホッとすると同時に、人助けをし損なったことを残念に思っ
た。
 自分のカメラをあれこれいじくりながら、華氏らは見晴らしの
いい塔の最上部に登った。ぽかぽかしていい天気。なんだかこの
モハーを征服したような気持ちだった。王様の気分だ。高い所が
苦手な妻は、少し恐がっていたが。……ところが、なんと、ここ
でまた、さっきのおじさんに会った。奥さんらしき人と一緒だ。
「は、はろ〜〜」。そして、「えくすきゅーずみー」と言って、
華氏はおじさんのカメラを手に取った。華氏の思った通り、フィ
ルム巻き上げレバーの所にある感度調整リングは、少し上に引き
上げれば回るのだ! 「いっつOK」と言って、華氏はおじさん
にカメラを示した。おじさんは目を丸くして、何やら叫んで感激
した。妻が「どうやったん?て訊いたはるんやわ」と通訳した。
華氏は「ありとる・ぷりんぐあっぷ・でぃすりんぐ……」と答え
るのがやっとだったが、妻は「英語うまいですね、て言うたはる
よ」と言った。華氏には返す英語力がなかった。そして、おじさ
んは「日本語でサンキューはどう言うのか」と訊いたらしい。妻
が「『ありがとう』です」と答えると、「オー、アリガト、アリ
ガト!」と叫んで握手を求めていた……と、妻から後で聞いた。

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