40.関空へ、そして新居へ
行きと同じ経路をたどってシベリアから新潟上空にさしかかっ た飛行機は、機首を西に向け、富山、金沢を通過した。そのまま 若狭湾から鳥取へ。(どこまで行くんやいな)と思ったら、今度 は岡山、高松、徳島へ。県庁所在地の上空をいくつも通って、紀 伊水道から関西国際空港に降り立った。その間、残念ながら、雲 ばかりで陸は見えず、関空の間近に来てやっと見えたのは海だっ た。下界は時雨模様。ただし、ヨーロッパと違って暖かかった。 今年は“航空機事故の当たり年”ともいえる年だったが、華氏の 5回のフライトは、すべて無事に終わった。パリから12時間か かり、到着は午前8時45分。日本の、大阪の(ただし埋め立て 地の)大地を踏みしめた華氏と妻は、ウイングシャトル(横に向 いて走るエレベーターのような乗り物)に乗り、がらんとした広 いホールで重い荷物を受け取って、審査も何もなく入国を済ませ た。 最後にうれしかったのは、関空ではビジネスクラス(「ル・ク ラブ」クラス)以上の客には、1人1個に限り、荷物を自宅まで 送ってくれる特典がついていたこと。いったん受け取った荷物を 再び預けた華氏らは、心まで身軽になった。空港ビルでお茶を飲 |
む。ヨシモトのタコ焼きとか何とか、噂には聞いていたが、あの 広い建物の中では、とても探してまで立ち寄る元気がなかった。 ただ、関空名物の、飛行機の形をした瓶に入った日本酒をお土産 に頼まれていたので、これだけは売店を探して購入した。ほかに することもないので、JRの関空快速で大阪駅へ向かう。関西国 際空港は、華氏らが行ったのが朝早かったからかも知れないが、 ただ、だだっぴろくて、人けがない、という印象しか残らなかっ た。 1時間かかって大阪駅へ。阪急に乗り換え、曽根駅で降りて新 居へ。玄関のドアを開けて、華氏と妻が、同じ家に入った。まだ 家具全部がそろわない居間で、なんとなく気恥ずかしい時間が流 れる。結婚式・披露宴から12日。わずか12日だが、2人でい ろいろな経験を重ねた、密度の濃い12日間だった。これからも ずっと、このパートナーといっしょに、楽しいことや苦しいこと を乗り越えていかなければいけない。何かにぶち当たったとき、 思い出すのはあの、岩や石だらけの山や牧場、大西洋に向かって 屹立した断崖、そして、緑色のシャムロックに象徴されたアイル ランドのやわらかな大地だろう。2人の新しい生活の原風景とな るにふさわしいおおらかな時が、今もあの国には流れている。 → E「エピローグ」へ |